石上神宮から多賀大社へ 老姉妹の「初めて」旅(nya.537)
「老姉妹まつごの思い出旅行 春編」敢行!! (2018年4月20日)
自分が浸潤性小葉癌という乳がんで、しかも骨転移無数、リンパ節転移無数の末期がんであることを知ったのが、2014年3月でした。
あまりの転移の多さに自分から医者に「余命は?」と尋ねたところ、これだけ多く転移していても内臓には転移がなく、骨とリンパだけの転移では「余命がつかない」と言われ、「人はがんで死ぬのではなく、がんが内臓に浸食した結果、内臓の機能が停止して人は死ぬのだ」と初めて知り、目からうろこでのけ反りました。
転移の有無を調べるために受けた検査のPET画像が「真っ黒」に映るほど転移が多かったため、手術は「不要」の段階に達していましたので、骨転移で特に大きく穴の開いていた背骨2か所と左大腿骨の計3か所に放射線治療を10回した他は、ホルモン療法のみで「放牧」されたため、4月になるとぽっかり「暇」になりました。
私に残された唯一の治療、ホルモン療法の薬が、全身に転移した私のがんに効くかどうかは「神さまの領域の博打」だと思い、「暇」な時間を「神頼み」に使うことにして向かった先は、私の住む田舎からだと3時間くらいかかる奈良県の天理市にある『石上神宮』でした。
そこが有名な死者も蘇らせる呪法『ひふみ祝詞』を持つ起死回生にご利益のある神宮であることも知らずに訪れた私は、「これは、神さまに呼んでいただいたんだ」と感動し、通える身体である限り、毎年お参りさせていただきますと約束しました。
そんなこんなで今年の4月吉日、なんと「5回目」の石上神宮へ「お礼参り」が出来てしまいました。
しかもなんと、78才の母と、82才の母の姉である叔母の「老姉妹」を連れて行きました。
なんともはや、これが「奇跡」というものでしょう。
後期高齢者の叔母と母親が、達者な口と自分の足で歩ける健康を保ち、末期がんの私がなんと「5回目」のお参りが赦されたのですから、有り難さも一塩のお参りとなりました。
石上神宮の拝殿の前に立つと「帰って来たなぁ」と感じると同時に、自分の身に起こった幸運の大きさを改めて実感し、自然に手を合わせ首を垂れるのです。
アレコレと日常の些細なことに悶々とできることは「贅沢の極み」であり、自分が受け取っている「恵み」大きさの前では取るに足らない些末なことなのだと心底感じます。
ほんとうに、ほんとうに、有り難いことです。
さて、旅の「主たる目的」は石上神宮へのお礼参りですが、我が家からの往復の交通費も安くはなく、今回も「旅行」とコラボすることにいたしました。合掌。
末期がんの私の「付き添い」で母も毎年石上神宮へお参りしているのですが、「付き添い」の母こそ、石上神宮の起死回生のお力をいただき、何度も九死に一生を得ています。
心房室細動や緑内障、白内障の手術も大過なく乗り越え、穏やかな日常を暮らせているのですから、「絶対に」お蔭をいただいているのです。
それでも確実に母の老いは進み、働き者だった母が去年の夏から畑仕事も諦め、すっかり「弱って」きたなぁと感じていました。
が、そんな母が、石上神宮へのお参りは何の疑いもなく「行く気」です。
母(78才)を連れて行くなら、母の叔母(82才)を連れて行くのも「同じこと」と思い、叔母を誘ってみると「行く行く!!」というので「老姉妹まつごの思い出旅行 春編」が実現しました。(笑)
今回の行先は滋賀県の琵琶湖東岸、彦根の近くの『多賀大社』です。
奈良から2時間ほど電車で移動することになりますが、去年の11月に「老姉妹」を『足立美術館』に連れて行った結果、2人とも、お昼からアルコールを飲んでも「トイレが近くならない」ことが判明しているため、大丈夫だろうと判断しました。(笑)
なぜ『多賀大社』なのかというと、これはもう、私が「呼ばれた」からです。
我が家の氏神様は2つあり、その一つが「多賀神社」なのです。
「多賀大社」は、古事記で日本という国を作られた国生みの神さま伊邪那岐命・伊邪那美命が祀られています。
日本最古の書物「古事記」によると、この二柱の大神は神代の昔に、初めて夫婦の道を始められ、日本の国土、続いて天照大神をはじめとする八百万(やおよろず)の神々をお産みになられました。
生命(いのち)の親神様であることから、古く「延命長寿・縁結び・厄除け」の神様として信仰を集め、鎌倉時代から江戸時代にかけては、武家や民衆にも信仰が広まり、多賀大社の分祀社は全国239社を数えます。
http://www.tagataisya.or.jp/about/
両神の御子が伊勢神宮にお祭りされている天照大神であることから「お伊勢参らばお多賀へ参れ、お伊勢お多賀の子でござる」と俗謡に唄われているほどで、私の氏神様はその一つ、ちっちゃなちっちゃな「多賀さま」ですが、創建は古く12世紀より前とされています。
毎年初詣で手を合わせている「多賀神社」の総本山が琵琶湖の「多賀大社」にあると知った時から、本やテレビやユーチューブのいろんなところに「多賀大社」が現れ始め「ああ、もうこれは、呼ばれているな」と素直にお伺いすることにしました。(笑)
今回の「老姉妹まつごの思い出旅行 春編」は、田舎→新幹線→京都→奈良県天理市→石上神宮→京都→彦根(琵琶湖)→彦根城夜桜屋形船→観光タクシー(多賀大社→西明寺)→京都→新幹線→田舎という1泊2日でした。
タクシーや屋形船を駆使して、歩く距離は少なく、荷物を持ち歩かないことがミソです。
今年の桜の開花は殊の外早く、石上神宮と多賀大社への参拝以外の「メイン」に据えていた国宝彦根城のお堀でライトアップされた桜を屋形船から愛でることを半ば以上諦めて出発しました。(嘆息)
去年の秋、紅葉の残る『足立美術館』への「老姉妹まつごの思い出旅行 秋編」が達成されましたので、「今度は春、桜でしょう」ということで張り切って予約をしたのですが、残念至極です。(涙)
皮肉なことに旅行初日は、初夏の陽気が続いてすっかり桜を散らした「暑さ」が寒冷前線に蹴散らされ、3月並みの「寒さ」でした。(涙)
天気予報の「暖かさが戻って来る」という予報に踊らされた薄着の私たちが、出発の最寄り駅ですでに凍えるような寒い寒い1日でした。(涙)
道中も「寒さ対策」に追われながら過ごし、ともあれ石上神宮への参拝を終え、彦根に向かいました。
彦根に向かう電車の車窓から見える山々からはすっかり桜が消え、すっかり新緑になっていましたので、満開の桜の下でのお花見は「田舎」で済ませたんだから、と落胆を押さえながらの電車旅でした。(嘆息)
しかもどれほど「寒さ対策」をしても追いつかず、あんまりにも寒いので、老姉妹の体調も不安だし、葉桜になっているだろう「夜桜屋形船」は体調不良と言ってキャンセルしようかと思いながら彦根に到着しました。
・・・しかし、「ありました!!桜!!」
散りかけてはいましたが、琵琶湖の東岸の彦根は、他より数段気温が低いらしく、桜が残ってくれていました。
期待していた「花いかだ」は前日の雨で消えていましたが、風のないお堀は鏡のようになり、ライトアップした夜桜がそれは美しかったです。(万歳)
翌日2日目は、初日と打って変わって暖かな1日で、4/22の古例大祭(これいたいさい)[多賀まつり]に向けてヤマブキの鉢植えを参道に飾った多賀大社も青空に映えて美しく、その後に訪れた国宝の西明寺の鎌倉時代の初期飛騨の匠が建立した純和様建築の本堂や三重塔もそれはそれは美しく「老姉妹」も大満足でした。
そんなこんなで無事「老姉妹まつごの思い出旅行 春編」を終えました。
ツアコン兼荷物持ちとして働いた私の体力も、最後の方は無口になりながらも何とか保つことが出来ました。(笑)
休職中の身の上で「旅行」など不謹慎ではありますが、「老姉妹」の特に母に体力の衰えが見え始め、去年の夏に弱り果てていた母の姿が、今年の「夏が来る前にもう一度」と私の背中を押しました。
「老姉妹まつごの思い出旅行 春編」を実現できて、ほんとうに良かったです。
旅行後の数日は「寝て休む」ことの出来る休職中でなかったら、私自身諦めていたことでしょう。(笑)
案の定、帰宅した翌日からすっかり風邪を引きこんでしまいました。(嘆息)
さてさて、今日のタイトルに戻りますと、今回の度を通じて「老姉妹」にはたくさんの「初めて」をプレゼントすることができました。(笑)
①出発のため最寄り駅に集合した早朝、あまりに寒いため用意しておいた「衣類に貼るカイロ」を老姉妹の背中に貼りました。叔母(82才)はカイロが初めてだったらしく、「背中に太陽が当たっているみたい」とポエジーな感想を言い喜びました。
②行きの新幹線の中で食べようとコンビニでサンドイッチとコーヒーを仕込み、甘いものもいける「老姉妹」に「クリームたっぷりいちごサンド」を渡したところ「初めて食べる、おいしい♡」と感動していました。
③本当に寒かった石上神宮の参拝を終え、すっかり凍えた「老姉妹」に電車に乗る前にコンビニで買ったアレコレで温めました。
1.薄手のハイソックスがあったので、電車の中で履かせた。(電車で靴下履くの初めて♪)
2.コンビニで追加でGETしたカイロをおのおの3個ずつ追加して貼りまくった。(叔母は、こんなのもったいないとか言いながら文明の利器に感動していました)
4.凍えた老姉妹には「コレ」しかない!!と思い、紙パックのお酒「鬼ごろし1.5合」にストローを刺し、電車の中で飲ませました。(叔母は、帰ったら近所の老人たちに自慢できると、車内で飲み切りました。笑)
5.ちょうどお昼時でしたので、「寒さ対策」の一環として、ついでに買っておいた「肉まん」も酔った勢いで車内でおのおの食べて、コンビニの肉まんのおいしさに感動していました。(電車の中で肉まん食べたの初めて♪)
④屋形船で夜桜見物(桜の満開が過ぎていたことと、あまりの寒さに私たち3人の貸し切りでした。船頭さんが楽しい「井伊家の現在」のお話で盛り上げてくださいました♪)
⑤琵琶湖の夜明けを見ながら朝風呂(日の出時間に合わせて最上階の温泉に行きました)
⑥「多賀大社」のお社が立派でびっくり。
⑦「西明寺」で聴いた『河鹿蛙(カジカガエル)』の鳴き声が鳥のように美しかったです。最初は鳥の鳴き声なのかと思いましたが、お庭のお掃除をされている方に叔母が尋ねると「山蛙」と教えていただきました。(後日ユーチューブで鳴き声を頼りに調べると高名な『河鹿蛙(カジカガエル)』と判明し、さらに感動しました。
「どれも」老姉妹が長い人生を通じて「初めて」のことばかりで大満悦でした。(笑)
途中「鍵紛失大事件」がありましたが、これは後日お話しますね。(笑)
今回もまた「間に合って良かった」と、老姉妹の後ろを歩きながら何度も思った旅行でした。
アラウンド80の老姉妹に「初めて尽くし」の旅行・・・シュールです。(笑)
・・・願わくば、来年の春もこのように穏やかに迎えられますように。合掌。
最後に、ほんとうに美しい「鳴き声」でしたので、河鹿蛙の鳴き声を録音した動画をお聴きください。
心が洗われます。
次は
です。
人間は行くべき時に行くべきところに行けるものなんですね
お母様と叔母様にとって旅行は一番嬉しいプレゼントでしょうね
晩年にこんなサプライズが待っていたなんて人生捨てたものじゃないと
思えますし、これから先、大変なことがあっても楽しい思い出が
宝物になりますもんね
人間は最後にもっていけるのは思い出だけです
神聖なお礼参りの旅……これ以上の贈り物はありませんね
はい、ゆうこさん、ほんとうに「世の中よく出来ているなぁ」と思うのです。
AかBかの選択を迫られて「A」を選んだとしても、現実には「F」のための選択だったのかと、後になって腑に落ちることがよくあります。
私の休職が、母や叔母の晩年を明るくするものであったなら、もしかしたら私の人生において働くことよりも大きなことが「それ」なのかもしれませんよね。(笑)
迷いながら「いい」と思うことをやって日々を誠実に生きること、そのうちのいくつかが「人の喜ぶこと」に繋がる時、「ああ、幸せだな」と思います。
ふるゆらさん、こんにちは!
神社参拝など思いで旅行、お疲れさまでした。
良い思い出となり、親孝行にもなりましたね、「親孝行、神への孝行とみなす」と神様の言葉があります。
いままで、僕も親孝行しなさい、恩返しをしなさいという言葉を、いままでの人生において聞いてきましたが、
いまいちピンと来なかったんですけど、凄く大事なことだということが分かりました。
ふるゆらさんが神社の話が出るので・・参考になればと思い書いてみます!
以前にも少し「不思議な記録」の本のこと書きましたが、その本には、この世、この世界に宇宙、自然、人間が存在するのも神様が創られたから存在するのだとあります。
その神様の御心に沿って生きるのが正しい生き方なんだと書いてあります、正しい生き方とは神様の教えに沿った生き方で、大昔は神様が人間と一緒に暮らしながら、どう生きていくのか教えて下さったのだそうです。
ところが今の神社は、教えがなく、神様の名前と由来とかだけで、ただ参拝するだけになっているのが現状です、これでは仏教やキリスト教の方がまだましかもとなります。
著者の浅見宗平さんは、分からないことは神様にお願いして、いろんなことを教えてもらって、古代の神様の教えの神社を造られた方です。
時間がありましたら、読まれたら良いかと思います。一巻から凄い不思議なことがたくさん書かれてありますので、僕なんかは非常に面白く・・ほんとかなと思いましたけど、今はほんとに事実だと思います。
神様と話が出来るとは凄いことだと思います・・でもこの日本でも戦後いろんな振興宗教もあり、もう全部が全部、偽物だらけということも事実だと思います。
そんな世間ではまずは信用されないような神様の事を書いた本なのですが、この本は読んでみて参考になると思いますよ。
ちなみに野菜スープは一度に2日分くらい作って朝昼晩飲んでいますよ・・腰の痛みは、たまにちょっとした動作に痛む感じがあり、まだ完全ではないですが、体調的には少しづつ良くなってきている感じはありますので、これからもずっと続けていきたいです。
なにより、美味しいので毎日楽しみに飲んでいます・・むしろ飽きないのが不思議ですね!
マサさん、ありがとうございます。
野菜スープについては、ものすごい勢いで「広がって」います。
何しろ私の例の叔母が「広報担当」として八面六臂の活躍で(笑)、野菜スープの本をご近所の老人たちに「回覧」しているようなのです。(笑)
神さまについてはそうですね、、、、神さまの前で手を合わす時、私を含め人間が、この世の何が分かっているというのだろう、と思います。
この世の成り立ちも仕組みも、「分かっている」のはほんの一部であることを「知る」と、人知を越えた「何か」が働くのもまた、自然なことなのだと受け止められます。
私はマサさんのように研究熱心ではありませんので、そのように「ぼんやりと」考えています。(笑)
だって、自分が困った時には空を見上げたり、寺社仏閣に行って手を合わせて「祈る」くせに、人間の目に見えるものしか信じないなんて矛盾していますよね。(笑)
私の思う神さまが、マサさんの神さまと同じかどうかも分かりませんが、人知を越えた「計らい」があることに、私も賛成です。