クリスマスは冬至のお祝い (nya.1881)

落葉

落葉

時が過ぎて行くことが「祝福」なのですね。メリークリスマス♪ (2021年12月24日)

年々歳々、クリスマスのことが「冬至の祝祭日」としか思えなくなったアラフィフオーバーの私がいます。(笑)

「いやいや、それでも世間はクリスマスで盛り上がる時期なんだから」と、何とか心浮き立たせようとするものの、私の心象風景では「冬至来たーーー!!一陽来復、一陽来復、合掌」という喜びの次に、「・・・冬至が来たということはもうすぐクリスマスだね♪」の順になっているのですから仕方ありません。

今はもう「クリスマスがイエスキリストの誕生日」という定説から、『クリスマスは、古代ローマで冬至の日に行われていた太陽神の誕生祭・収穫祭が元になっている』『伝統的な冬至の祝祭日をクリスマスとしたキリスト教の大成功 』へ、世間の常識が置き換わりつつあると思うので、私の心象風景もむべなるかなというものですね。

そんな私のクリスマス気分に寄り添ってくれる音楽、今年は、Enya の『 Christmas Secrets』です。

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華やかに楽しくクリスマスではなく、いろいろあるけれど、穏やかに日々が過ぎ、こうしてクリスマスの日を迎えることが何よりのギフトという方におススメです。

エンヤさんは、世界的な癒される音楽のビッグネームなので、言わずもがなかと思いますが、

エンヤは、アイルランドの歌手、作曲家、音楽プロデューサー、音楽家。音楽一家に生まれ、アイルランド語圏のドニゴール県グウィドーで育つ。ケルト音楽に影響を受けて独自の音楽を展開する女性ミュージシャン。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%A4

ということで、アイルランドの出身の方です。

アイルランドと言えばケルト文化であり、ケルト文化というのはキリスト教が普及する以前に信仰していたドルイド(Druid)教という土着の信仰に根ざし、太陽と大地の古い神々を信じ、あらゆる生き物の中に霊的な存在を見いだすという「バリバリの多神教」がルーツです。

ですから、同じく「八百万の神々」を身近に感じて生きる日本人とエンヤさんの楽曲の親和性が高いのは必然です。

冬の田舎

さらに、その親和性を高めているのは音楽で、スコットランド・アイルランド民謡は日本音階と同じく「五音階」が使われることが多く、エンヤさんの音楽にもそれが取り込まれています。

五音音階(ごおんおんかい)は、1オクターブに5つの音が含まれる音階のこと。ペンタトニックスケールとも呼ばれる。スコットランド民謡(スコットランド音楽)などにあらわれる。日本の民謡や演歌にみられるヨナ抜き音階、および琉球音階も五音音階の一つである。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E9%9F%B3%E9%9F%B3%E9%9A%8E

音楽に詳しくない私の感覚からすると、西洋音楽のドレミファソラシドの七音音階に比べて、五音階は曲に少し余白があるように感じます。

ちょうど西洋絵画が隅々まで色彩で埋め尽くされて美を表現するのと、日本絵画が余白を味わいとすることの違いのようなものでしょうか。

優劣ではなく、心に馴染むのです。

日本音階の『君が代』や『さくらさくら』と、スコットランド・アイルランド民謡の五音階で構成された『蛍の光』『仰げば尊し』『ダニーボーイ』が、全く違和感なく受け入れられるのはそのためです。

冬の田舎

ちなみに、現代のJ-popでも五音階の曲が多くあります。

松任谷由美さんの『春よ、来い』も、星野源さんの『恋』も、東京オリンピック2020のテーマソング、嵐の『カイト』もそうなんだと言われれば腑に落ちますよね。

・・・ということで、「冬至の祝祭日」として静かに穏やかにクリスマスを迎えたい私の心とケルトっぽいエンヤさんのクリスマスソングが、実にうまくマッチングしました。

おっと、いつものことながら大きくクリスマスから脱線しています。(笑)

閑話休題。

冬の池

師走に入っても暖かかい日が続いたために落葉が遅く、さぁーっと風が吹く度に木の葉が空に舞い上がり落ちて、落葉が木の枝を打つカラカラという音がアチコチからいつまでも聞こえる今年のクリスマスシーズン。

暖かいので「落ち葉を踏む音を楽しむ人は多いけれど、落ち葉が落ちる音がこれほど賑やかで楽しいものだと知るのは田舎者の特典かな」と一人微笑みながら散歩が出来る余裕も生まれます。

桜吹雪や牡丹雪もそうですが、人はゆっくりと舞い落ちるものを見る時、「時」を感じます。

この星に生まれた以上、常に留まることなく、容赦なく、絶えず時が流れ続けていることを、人は誰でも知っています。

しかし誰も「時の流れ」を見ることは叶いません。

3年前の自分の写真を見た時、毎日鏡越しに見ている自分の顔と明らかに別物だとびっくりすることはありますが、、、。(笑)

冬の池

この季節、落葉し続ける夥しい木の葉の数、それらがあるものは木の根元に、あるものは風に遠く飛ばされて地面を覆いつくす様を見ると、ふと、自分は今「時の流れ」を見ているのではないかと思います。

田舎道を散歩し「これが時の流れなのか」と思うのはその一瞬だけで、意識がすぐ別のことを思い始めるのもまた、しばしば時が流れていることを忘れてしまうことに似ているように思うのです。

私が意識しようとしまいと関係なく、私が風太と丸くなってベッドで寝ている間にも落葉は続き、数日前はまだ木の葉を残していた木が、気付けば裸木になり、足元が木の葉でふかふかの絨毯のようになっています。

もし「時の流れ」を見ることが叶うならば、自分が過ごしてきた「時」が、落葉した木の葉のように足元を埋め尽くしている光景を見て愕然とすることが出来るのではないでしょうか。

冬の池

時が過ぎることや加齢を悲しいことだと私は思えません。

時が過ぎるからこそ癒される傷もあり、年を重ねることで許され与えられる自由もあります。

春、育つために木々は芽吹き、夏、日の光を栄養とするために青葉を茂らせ、秋、実を結び、そして冬が巡り来れば不用となった葉を風に乗せて落葉する。

落葉し降り積もった木の葉が大地を覆って滋養となり、他の生き物を育む循環の一部であるように、私を通り抜けた無数の時の流れもまた降り積もって静かに大地に還りますように。

今年の私のクリスマスギフトは「時の流れることが祝福」だと思える年齢まで生きられたこと。

そして願わくば、このまま穏やかに「時の流れ」という落葉を楽しむこと、この星に滞在することがもううしばらく赦されますように☆

サンタさん、よろしくお願いします♪

落葉

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クリスマスは冬至のお祝い (nya.1881)” に対して2件のコメントがあります。

  1. Rie より:

    今年もクリスマスを過ごすことが出来た喜び***ふるゆらさんのブログにどれだけ救われていることか、言葉に出来ません。沢山溢れては、雪の様に積もって・・・時には溶けてを繰り返してしまうから。これからも楽しみに拝見させていただきます!!
    どうか善いお年をお迎えくださいね☆彡

    1. ふるゆら より:

      Rieさん、一日遅れですがメリークリスマス☆です。

      この星に生まれ、美しい四季のある島国に暮らし、絶え間なく巡る季節の中で、ふと足を止める歳時記があることは幸いですね。

      歳時記は、暮らしの句読点のようなもので、これがなければどこで息継ぎをしたらいいか分からない日々を送る凡人に、「今、今、深呼吸して」と教えてくれます。(笑)

      冬至、クリスマスが終わりましたので、次はお正月、節分、立春ですね。

      その時々で、Rieさんも私も、一体何を想うのでしょうか・・・。

      何とぞお自愛の上よい年をお迎えください。

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