「癌転移無数から骨転移4か所」に激減したんです友人行脚 (nya.88)
「黒い画像」と「白い画像」を友人に見てもらう (2015年7月~9月)
7月の通院の日、6月に受けたPET画像診断の結果が「癌転移無数から骨転移4か所」になっていることを知り、私の病気を心配してくれている家族や友人には、その日のうちに「いいお知らせ」メールを送りました。
「すぐに知らせなきゃ」と思い、「いいお知らせ」として検査結果を伝えたのですが、私自身「喜び」よりも「驚き」が大きく、頭の中は『☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆?????????????????』混乱の極みで、「癌の転移がいっぱい消えた」「とにかく、神さまの博打で大当たり!!」「みんな、私のこと心配してくれてありがとう」と思いつくままの文章を書きなぐったものでした。
それでも、私の興奮だけは確実に伝わったようで、「よかった、よかった」「うれしい」と、口々に祝福してくれました。
「まったくマメではない私」の「類友」な友人たちですので、私が【乳癌ステージ4】であることを伝えるために会った時以来、1年ほど会っていない友人もいて、今回の「劇的な検査結果」は直接会って伝えたいな、とは思うものの、「苦手な夏」の真っただ中にいる私には「荷が重すぎて」腰が上がりませんでした。
「結果発表」の日からしばらく経つと、私なりにPET画像診断の検査結果の衝撃が吸収され、整理して考えられるようになりました。
そして改めて「あの日の自分のメール」を読んでみると、「・・・たぶん伝わっていない」と思わざるを得ませんでした。
メールの内容は問題ないのですが、「問題は」私の第1回目の「真っ黒」なPET画像を見ていないかぎり、私が「癌転移無数から骨転移4か所」に激減したという意味が「伝わらない」ことにあると気付いたのです。
そして衝撃的な「真っ黒」なPET画像は、誰にも見せていないのです。
「良くなる可能性が大」という展望があるわけではなく、【乳癌ステージ4】=末期癌という「重い事実」と一緒に見せるには、ありのままではあるけれど「過酷」な現実を突きつける「真っ黒な画像」です。
自分が見た瞬間「あ、こりゃ死ぬ」と思ったくらい衝撃的な画像を、人に見せても「絶望」を与えるだけと思い、「こんな風だった」と明るく口頭で伝えるに留めていたのです。
ただ、こうなってみると、私がいくら「背骨の上から下まで骨転移で真っ黒だったのがなくなっていた」「放射線療法するくらい大穴の空いていた左大腿骨の骨転移も消えていた」「原発乳癌の左乳房の癌も消えていた」と説明して、「骨転移が4か所だけに激減した」と伝えても、『うんうん、良かったね、でも末期癌でしょ、心配に決まってるしょ』と思うに違いないのです。
そーです、その通りなんですが、私は友人に「安心」してもらいたいのです。
そのためには「黒い画像」と「白い画像」を並べて見てもらって、どれだけ「改善されたか」劇的な変化を見て、納得してもらうしかないと思うのです。
私の「黒い画像」と「白い画像」を見れば、一目瞭然、絶対に「良かった」と安心してもらえるはずです。
それは、↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
的変化です。(笑)
そうして私の重い腰が上がり、【「黒い画像」と「白い画像」友人行脚】が始まりました。
ただし、やっぱり「苦手な夏」は私自身に余裕がなく、会う機会のない友人には、少し涼しくなった9月に連絡をとり、本格「行脚」をしました。
友人たちは、激減した「白い画像」より、初めて見る「黒い画像」に衝撃を受けていました。
私が「黒い画像」を見せて「これ見た瞬間、死ぬと思った」というと、「ほんとにね」と言い、「で、これが骨転移4か所の画像」と「白い画像」を見るせると「うわぁ、すごい、写メ撮っていい?」と感激していました。(笑)
癌転移無数から骨転移4か所」になったからと言って、癌が完治したわけではなく、転移が1つでもあれば「立派な」ステージ4=末期癌です。
普通なら、癌告知で「癌の転移があります」と告げられたら、絶望のあまり「世を儚む」くらい深刻なことです。
しかも、PET画像で「癌転移無数から骨転移4か所」になったからといって、「PETで映る範囲では」という前提条件付きなのであって、PETでは検出不能な5ミリ以下の癌の転移は「無数にある」と考えるべきなのでしょう。
でも、「黒い画像」と「白い画像」を見れば、そんな理屈は吹き飛んで「安心」します。
一応友人に、消えた転移は「縮小して見えなくなっただけで、実際はある」と理屈を説明しましたが、「最初が酷いから、ものすごく良くなったように錯覚するね」とやっぱり安心していました。(笑)
安心した友人の顔を見ると、私も安心するのです。
「百聞は一見に如かず」
確信を深めた私は【乳癌ステージ4】を知る会社の同僚にも、「黒い画像」と「白い画像」を見せなくちゃ、と行脚しました。
癌と言う病気は、人の数だけ異なる顔を持ち、私のケースが他の人に当てはまるような「生易しい」ものではないことは、承知していますが、それでも私のようなケースを友人や同僚が知ることで、それぞれの大切な人が癌になった時、「こんなこともある」と少しでも希望に繋がればいいと祈り、伝えました。
次は
「癌転移無数から骨転移4か所」結局何が良かったのか私見 (nya.89)
です。