「難問」でした。友人への癌告知行脚 (nya.44)

ねこ、風太緑の中

むむ?わしから逃げられると思うなよ。

「朋有り、遠方より来たる 亦た楽しからずや」悪い知らせでごめんね、合掌(2014年5月)

衝撃の2月、怒涛の3月、呆然自失の後に「神頼み」に走った4月を越えて、5月になると、「どうやら、(今すぐに)死ぬことはなさそうだ」と得心して、周辺視野を取り戻しました。

そこで、「身辺整理」を始めたのですが、実はそれ以外にも「取り掛かった」ものがありました。

「友人に癌告知」行脚です。

会社では、「最小限の同僚にのみ伝える」と決めた私ですが、この時点で「友人すべて」には伝えておらず、「むむむ、難しい」と悩んでいました。

11.ねこ、風太きつねのしっぽ私は、社交的に振る舞うことは出来ますが、生来の気質は『スナフキン』なので、基本「群れる」ことが苦手です。

学校生活をはじめ、「集団」に身を置くことになると、真っ先に「変人フラッグ」を取りに行きます。

これはとても便利なツールで、「変人フラッグ」を立てた途端、「協調圧力」が弱まるのです。(笑)

『スナフキン』なので、「自分一人で過ごす時間」を楽しみます。

その時間を確保した上で、「大切に出来る」友人は、限られている上に、必然的に、友人もまた「自立型」の人間が集まります。

さらに、「ものぐさ」ゆえに「友人は少なくていい」と思っているのです。

学生時代の各年代の友人が1人ずつ、会社の同期、同僚が数人、というところです。

これまでのところ、私の母親とも交流のある友人には、伝えました。

私の母親は「料理上手&料理マメ」な人なのです。

10.ねこ、風太ねむい私の友人を我が家に呼んだ時には「田舎の手料理」でもてなしますし、季節季節の「漬物」は大量に作って、『ふるさと便』として私の友人に届けられます。

そして、私をパスして、「私の母親と私の友人」が料理の情報交換をしているのです。

それら友人に「癌告知」していないと、母親が「苦しい嘘」をつき続けることになるので、折をみて伝えました。

残る友人の「誰に伝え、誰に伝えないか」と考えた時の線引きは、近未来の「自分の葬式」のことを考えて決めました。

葬式の日まで、私が乳癌だということをこのまま伝えなかった時、「怒り出す」友人と、「私の葬式」に出席するのが当然だと思っているだろう友人です。

「子育てで忙しい」友人には、「一刻を争うものじゃないし」と遠慮しました。

15.ねこ、風太寝るさて、ここからが「難問」です。

少数とはいえ、それら友人に伝える時、まさか「【癌告知】友人一堂合同ミーティング」を開催するわけにはいかず、個別に伝える他ありません。

伝える方法も、ことがことだけに、「メールで済ます」のはいただけないので、会って話したいと思いました。

が、会って話すためには、会うための段取りとして、やっぱり「メール」をするのですね。(笑)

私自身、決して「マメ」な人間ではありませんが、「類友」の私の友人もまた「マメ」ではありません。

「たまにメールで近況報告&数年に一度会う」という付き合いをしている友人がほとんどです。

それでも確実に友人たちとは「繋がって」いて、数年ぶりに会っても、数日前にも会っていたかのように過ごせます。

16.ねこ、風太緑の目さて、そんな友人へ「報告したいことがあるから、会いたい」となどと、「思わせぶり」なメールをすれば、驚いた友人は、返信で、しつこく理由を問い質すことでしょう。

はたまた、「思わせぶりな」メールは、「えっっっ!!つ、ついに結婚する???いやいやいや。ありえないし、それはない。でも、ひょっとして、万が一・・・」などと、あらぬ妄想を呼び、腰を抜かしてしまうかもしれません(笑)。

熟考の末、「報告したいことがある。会って話す。がしかし、結婚ではないし、緊急でもない。」という文面にしました。(笑)

こうして、最初の友人と会う日時を調整出来たら、次の友人へメールして、ということを繰り返し、「癌告知」行脚を開始しました。

会う場所は、「何を話していても周囲に無関心」であることが条件なので「ファミレス」か騒がしい「居酒屋」にしました。(タバコも吸えるしね(笑))

14.ねこ、風太ふてる数年ぶりに会い、私が(煙を吐きながら)「かくかくしかじかで【乳癌ステージ4】ということになった」と伝えました。

友人たちは、まず、私の吐き出した煙を見て「・・・こいつは、まったく・・・」という表情で私を見ます。

次に、数年前の記憶にある私の面影より、数段「ふくよか」になっている(つやつやした頬を持つ)私を見て「???癌って、痩せるものなんじゃなかったか?」と首を傾げます。

この時すでに体重が増加傾向にありましたが、「ホルモン療法」の影響で、その後、トータル8kg太りました。

友人たちは、その後も会うたびに福々しくなっていく私を見て「・・・、健康そのものに見えるけど・・・」と首を傾げ続けています。

「でも、まぁ、贅肉8kgと引き換えに延命できるのなら、安いもの」と、笑っています(笑)

友人たちは皆、私の【癌告知】に驚いていましたが、ある友人は、私のために「怒り」、ある友人は、私のために「涙して」くれました。

本当に、有難いことです。

しかも、さすがに私の「類友」なので、私が「【乳癌ステージ4】になったけど、乳癌で死ぬとは限らないし、自分がいつ死ぬかなんて誰でも分からないんだから、その意味では、皆と同じ条件で生きることに変わりはない」というと、すぐさま「その通り」と納得してくれました。

私が「乳癌だからこれは禁止、乳癌だからこれは諦める、乳癌だから・・・という(乳癌を基準にした)生活は、私の性に合わない。」

「【乳癌ステージ4】と分かったけれど、変わったことは自分が【乳癌ステージ4】を知っただけ。」

「これまでもこの身体で生きてきたし、これからも同じ身体で生きていく」

「手術も抗がん剤もないし、これまでの生活を何一つ変えないでいこうと思っている」

と伝えると、私の吐き出しだ煙を見ながら「まぁ・・・、いいんじゃないの」とこれまた納得してくれました。

一人、一人、「じゃあ、また」と普段と変わらず、手を振って帰っていく友人を見送りました。

 

人生の一時を共有し、友人となりました。

今となっては、各々の生活を営む上で、互いを「必要」とすることは全くありません。

にもかかわらず、純粋に「人が人を思う」感情のみで繋がっている「他人」が「友人」です。

呼べば、慌てて駆けつけてくれる友人は、本当にありがたい、と思うのです。

 

 

次は

【乳癌ステージ4】今の会社で正解でした。 (nya.45)

です。

おおでまり

おおでまりが一列に並んで咲いてました。

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