【乳癌ステージ4】今の会社で正解でした。 (nya.45)
ありがとう「会社」、ありがとう「組合」 (2014年5月)
自分が【乳癌ステージ4】だと知ったのが、約2か月前の3月12日。
3月31日で、「放射線治療」が終了。
病院への通院は、「らくらく3週間に1度」。
4月は、ほっと一息ついて、懸案だった「お墓参り」も「神頼み」も済ませました。
5月に入ると、衣替えからなし崩しに「身辺整理」に雪崩れ込んで「捨てまくり」、これも懸案事項だった難問の「友人への癌告知」行脚も順調に進んでいます。
癌告知、しかも【乳癌ステージ4】の診断をを受けてわずか2か月後に、これほど「のんびり」できるとは「びっくり」です。
若葉から新緑へ移行する心地よい季節に、私の心にはある種の「達成感」がありました。
会社を休まずフルタイムで働けていて、「慎ましい」ながら「定収入」が得られていることも「心の支え」となっています。
私は大学卒業と同時に、今の会社に就職し「全力疾走」してきました。
それは、私に「上昇志向」があったわけではなく、「忙しい会社」に就職してしまったからであり、DNAに組み込まれた「百姓魂」が、強迫観念として「人に迷惑をかけないように仕事をする」ことを強いてきた結果です。
その上私は「有能」で(笑)、上昇志向がなく、仕事の出来る「便利な女」なのです。(笑)
しかし、私にとって仕事が「苦痛」な訳ではなく、「野戦病院型」の反射神経を必要とする毎日は、「売られた喧嘩は買うタイプ(笑)」の私の気質にマッチングしていて、「充実感」が得られるものでした。
同じ会社に24年勤務していると、「山あり、谷あり、谷底あり、奈落あり、奈落の底に穴を掘ることあり」で、『辞めたいなぁ』と思うことは「何度」もありましたが、『飽きたな』と思うことなく過ごせる仕事に「巡り合えた」自分は「幸運」なのだろうと思ってきました。
ただし、しばしば「体力の限界」を試される仕事量だったので、体力面で削られたことは否めず、30才前後から「体調不良」を抱えた私にとって、「休日」とは、「プライベートな時間」を指すものではなく、文字通り「休息のための時間」と、なり果てていて、そのことが唯一「不満」でした。
特にここ数年は、今にして思えば【乳癌ステージ4】が進行して、体力を奪っていたのだと思いますが、会社から帰宅すると、まず自室で1時間程度横になってからでないと、食事や入浴という「建設的な」ことをする気力がわかず、「ギリギリだなぁ」と思っていました。
会社に対して、これまでずっと「休みも少ない、安っすい給料、とことん働かせてくれる」と認識していましたが、乳癌になり、にわかに「魅力的な会社」に変貌しました。
私の会社には、かなり大きな「組合」があります。
タイミングとして、私の入社3年目で「バブルがはじけ飛んだ」ために、常に経営が苦しく、組合は「御用組合」、「経営者の言いなりじゃないか」と言われ続けてきました。
しかし、病気、しかも【乳癌ステージ4】となると、勤務している会社に組合が「あるとない」では大違いです。
就職の時、親が「大きい会社か公務員がいい」と口煩く言っていた時は、「けっっ」と思っていましたが、この歳になり、「なるほど一理ある」と思いました。(笑)
「組合」があるために、私の会社では「退職勧奨」がありません。
「病気休職」は6カ月無給の後、30カ月の基本給が支給されます。
復職も人事が面談して、体調に応じた職場へ配置してくれます。
「経営者の言いなり」になってきた「御用組合」ですが、景気の良かった頃に獲得した「福利厚生」を死守してくれていたのです。
安っすい給料から、毎月天引きされる「組合費」を恨みがましく見つめたこともある私ですが、今なら許せます。(笑)
私は今回の46才【乳癌ステージ4】の前に、43才で「目眩を発症して休職」をしていますので、その際の復職で、「精神的、肉体的に楽な職場」を選び、今の職場に異動しています。
なので、この度【乳癌ステージ4】となっても、もともとが「楽な職場」なので、「無理をしない」「定時に上がる」「有休を使う」と、自分の心の有り様を変えるだけで、「さらに楽な職場」になるわけです。
今現在も、有休を使うことで「2日勤務したら1日休む」ペースを維持できていて、これが「ストレスのない体調管理」に大いに役立っています。
入社24年目にして初めて「この会社に就職して本当に良かった」と思いました。(笑)
次は
です。