【乳癌ステージ4】の私がすべきことを思う (nya.20)
乳癌ステージ4に許される時間は? (2016年3月13日~2016年3月16日)
人の死に方はいろいろですが、【癌で死ぬ】ということは、「癌という病気で死の予告」を受け、カウントダウンを聞きながら、「死」に至る瞬間までにいくばくかの「時間の猶予」を与えられるということです。
これが【癌は人に優しい病気】と言われる理由です。
ただし、私が【乳癌ステージ4=末期癌】だからといって、癌で死ぬこと「決定」とは限りません。
私は会社に車で通勤していますが、交通事故で死ぬかもしれないし、心停止で、ある時突然死ぬ可能性も大いにあります。その意味で、「普通に元気な人」と何ら変わりはない条件で生きているのです。
「普通に元気な人」の大半は、自分の死を身近に感じないで生きているけれど、癌によって「死を予告」された人間は、死を近未来のこととして受け入れて生きている、という1点だけが、異なっているのです。
万人と等しく、「突然死」の可能性は抱えているものの、「癌という病気で死の予告」を受けた私は、自分の人生の「身仕舞」をする時間があり、死に至る生き方に「選択肢」があり、なるほど、【癌という病気は人に優しい】と思いました。
自分が【ステージ4=末期癌】だと知った時、そりゃあ驚きました。
【ステージ4=末期癌=終末医療】という言葉の響きから、きっと「長い危篤状態が続き、怒涛の闘病生活」を送るのだと想像しました。
しかし現実には、仕事を続け、普通に生活し、こうして考える時間が与えられています。
想像と異なり、癌によって起こる様々なこと、一つ一つの意味を理解し、自分が生きてきた上で、大切にしてきた「価値観」と突き合わせて、選ぶことが可能なことに驚きました。
そして、そのことに、妙に「安堵感」と「満足感」を覚えるのでした。
平均的な【乳癌ステージ4」の10年生存率は25%。乱暴に計算すれば、5年後に自分が生きている確率は50%です。
今現在「体調不良」という、ぬるい実感しか持たない状態ですし、「癌の性質も温和」なのだから「急変」するとは考えにくく、このままジワジワ、体調が悪化し衰弱するのではないかと、想定しました。
10年後だと、あまり遠い未来で実感が湧かないので、「5年後生存率50%」をゴール地点にして、逆算することにしました。
【5年後に死ぬ】として考えるのです。死を迎える前の2年は、体調が本当に悪化して、身動きが取れない状態になるとすると、【あと3年間】が、私がある程度「自由に組み立てられる」時間です。
その時の私の実感は、【あと3年】に焦るのではなく、【あと3年】あれば焦ることないな、というものでした。
「これから先に必要になるかもしれない」と考え、不要になっても捨てられずに溜め込んでいたあれこれを捨てる。
自分の納得いく「終末医療」について勉強して準備する。
働けなくなった後に経済的に困らないためには、あといくら必要?
私がこの世を卒業しても、老齢の両親と、半身不随の兄が困らないような策を練るには・・・
いろいろ「するべきこと」は思い浮かびますが、【あと3年】あれば、余裕でこなせます。
先月から、一連の「癌ショック」で舞い上がっていた心が、ストンと落ち着きました。
運動会の借り物競争のように、東奔西走しなくてはいけないのかと、「精神の出力」スロットルを全開にして身構えていたのですが、落ち着いて着実に実行すれば大丈夫、と分かったのです。
【あと3年】、するべきことが決まれば、短くはない時間です。
【目指せ、2020年東京オリンピック】、5年後、テレビ観戦して楽しめる状態で迎えたいと思います。
週末も会社で働きながら、このように「立派な?」心の整理が、徐々に形成されました。
・・・が、こんな時でも「忘れてはならないもの」があります。
落ち着いて生きるにも、闘病するにも「先立つもの」が必要不可欠だという厳然たる事実です。(涙)
突然、手術がなくなったので、保険の「金算用」が崩れました。
慌てて保険のおじさんに問い合わせると、「ホルモン療法は保険でカバーされないけれど、放射線治療は、合計のグレイ数によって【手術扱い】になる」とのことでした。
私の場合は同時に3か所、(3グレイx10回)x3=90グレイです。
じゃじゃ~ん。【手術扱い】が適用され、保険の対象でした。パチパチ。合掌。
あの時、放射線医が「3か所同時にします?」と言って、「します」と答えた自分を褒めてあげたい。
これくらいの「幸運」があっても罰は当たらないだろう、と思うのでした(笑)
次は
です。