放射線療法1回目&脳転移なし (nya.22)
高精度放射線治療機は、宇宙と交信できそうでした (2014年3月17日)
そして、週が明け、今日から放射線療法が始まります。
たまたまこの日が休日に当たった私は、すっかり通い慣れた×病院に向かいました。
今日のメニューは、放射線治療、脳のMRI、放射線医の診察の順番です。
【乳癌ステージ4】と分かったことで、覚悟していた大学病院での「左乳房全摘」手術がなくなり、そうなると、期待していた「主治医との縁切り」が難しくなってしまいました。
「とほほ」と落胆したのですが、さらには「自分で」、【乳癌ステージ4】と分かった「その時の勢い」で、すぐに放射線治療を開始することを決めてしまったのです。
これで、ますます、私の嫌いな主治医のいる×病院から離れることが叶わなくなりました。「とほほほほほほ」です。
私の主治医に対する好感度は「0」で、この先そんな人と、自分の重篤な病気の相談をするために、顔を突き合わせなくてはならないのかと思うと、本当に憂鬱です。
病院に通う度に、病気の大敵「ストレス」を主治医から受けてどうする、とも思いました。
『はぁ、どうするかなあ』と、週末の間、仕事をしながら迷いました。
「でも、放射線治療開始の日程は決めてしまったし」と思いながら、×病院のパンフを読むと、放射線治療の装置は『全身に適応可能な高精度放射線治療機 ●●●地方初導入』と歌われています。
詳しいことはさらさら分からないけれど、新しい装置は、古い装置より技術的に進歩したものになっているし、改良も進んでいることでしょう。
『ここは、主治医の人柄より、新しい装置を優先しよう』と割り切りました。
そして今日、×病院に向かったのです。まず、受付を済ませました。
次に、放射線治療を受ける「放射線スペース」に入るためには「指紋認証」が必要となるので、その登録をします。
「ピッ」と認証して「放射線スペース」に入ると、更衣室があって、受付で渡された「治療着」に着替えました。
この病院のいいところは、施設が新しくきれいなことと、「待たされない」ことです。
初日の今日は会社が休みなので、「10時に予約」でしたが、実際、10時には放射線治療の部屋に案内されました。
部屋に入ると、そこには「宇宙と交信」すること以外、用途のなさそうな「SFチックに大きな装置」が鎮座しておられました。
パンフの写真を見ていましたが、実際に対面してみると、大きな空間の部屋の中央に「ドーン」と大きな装置があり、その周りは何にもなく、妙に「非現実的」な光景です。
いよいよ療法を始めるために、装置に誘導され、仰向けに横になるよう指示を受けました。
「さあ、大変」です。私の肋骨の先っぽは骨折しているのです。
横たわろうとした途端に『左わき腹の痛み』に顔をしかめる私と、私が多発骨転移であることを知っているが故に、慌てるスタッフ。
お騒がせして、すみません。くしゃみが悪いんです。
安心してください、寝転がってしまえば痛みはないんですよ。
3人のスタッフが私を取り囲み、身体に描かれた座標に合わせ、ミリ単位で調整します。
一か所目の治療箇所に座標合うと、3人のスタッフは、間違っても放射線を受けないように「室外退避」。そして「発射」。
私の場合、治療箇所が3か所あるので、これを3回繰り返します。
「発射」は、準備が整うと看護師が、別室からマイク越しに「発射します」と言うので、「今、私の身体を放射線が突き抜けたんだなぁ」と思うだけで、「感触」は一切ありません。
私は、宇宙との交信を妄想しながら、微動だにせず寝ているだけのマグロです。
本当に約30分で終了しました。
結局、緊張が長続きしない体質の私は、夢を見るほど寝てしまいました。
起き上がる時、やはり激痛に見舞われたものの、それを除けば簡単、簡単。
これなら、明日から出勤前に治療を受けて、出社することも出来そうです。
放射線療のあと、脳のMRIを受けました。
先日のPET/CTは、癌を撮影するために、ブドウ糖に似たものを注射するのですが、脳と膀胱は、もともと糖分が多いため、画像では真っ黒に映ってしまうので、脳に癌転移があるかどうか、分からないのです。
そこで今日、脳をMRIで検査するわけです。思い出すのは、脳に転移があっても、何の不思議もない「真っ黒なPET画像」。
私が最も恐れている脳転移があるのか、ないのか。
「もう、何があっても驚かない」と思う一方で、「お願い、お願い、お願いします」と祈りました。
そして、MRI室へ。
そうです。再び肋骨の先っぽの骨折の激痛に耐えて、診察台に横たわる苦行です(涙)
その後は、放射線医の診察です。
今日は、放射線治療の「初日」ということで、診察がありました。
診察室に入ると、脳のMRIの結果は、わずかな時間で判明したたらしく、開口一番、あっさりと「脳に転移はありませんでした」と放射線医から伝えられました。
ここまで、「診断」を受ける度に、拡大の一途を辿っていた私の乳癌。ここでやっと、踏み止まったのです。
何より、脳に転移していない(少なくともMRIで映る範囲では)、ということに心底ほっとしました。
私が診察台に横たわる時、痛がっていたことを聞きつけたらしい放射線医は、強引に痛み止めの薬を処方しました。
「骨転移=激痛」というのが医学の常識らしく、私ほど骨転移が、大小【無数】にあれば、当然痛みがある筈だと決めてかかっている節が「ありあり」でした。
私が「くしゃみをして肋骨が折れた」のであって、骨転移の痛みではないし、すでに3日経過していて、その間も痛み止めを飲んでいないと伝えても、医者は「いや、痛み止めは飲んだ方がいいです」と言って聞きません。
医者にここまで強く勧められると、まだまだ「骨転移ビギナー」の私は承知せざるを得ず、痛み止めを受け取って飲んだのでした。
今思えば、これがその後の「てんやわんや」の始まりでした。
次は、いよいよ、
です。
こんにちは。12月17日に乳ガン告知を受け2月から抗がん剤治療してるものです。
風太さんのブログ元気出ます。なんか発見から検査まで同じ流れで、病名も一緒で親近感持ってしまいました。
抗がん剤治療、吐き気も脱毛もあり毎日新聞コロコロ欠かせないし、しなきゃよかったでも、先生に相談したら、子供さんのこれからをみれませんよって言われ、渋々。
抗がん剤を打たなければまだ私は元気だったのに❗
私も手術なしです。
何年続くのか(笑)頑張っていきましょう
秋子さん、初めまして。コメントありがとうございます。
風太&田舎ワールドへようこそ♪
秋子さんも浸潤性小葉癌ですか。
乳がんになったことは驚きましたが、自分の乳がんが乳がん全体の5%の「珍しい乳がん」と知った時は「・・・微妙」でした。
秋子さんは、がん告知からまだ数ヶ月なので、さぞ驚き動揺されたことでしょう。
抗がん剤の副作用、お見舞い申し上げます。
「にんじん、りんご、レモンジュース」や「最強の野菜スープ」「枇杷の葉こんにゃく温湿布」など、身体に優しいことをしてあげてくださいね。
闘病と育児、両方頑張られている秋子さんですから、秋子さんが喜ぶことをしてあげられるのも秋子さんご自身です。
春がたけなわになった頃、新緑が濃い緑に変わる頃、秋子さんが生きることに喜びを見出しておられることをお祈りします。
私はのほほんと過ごしている分、風太を追いかけて写真をアップして、ブログを読んでくださる方に「お笑い」をせっせと届けますね。
秋子さんも私と一緒の「がんマラソン」に参加ですね。
ゆっくりぽてぽて、周りの景色を愛でながら歩いたり走ったり休んだりしましょうね。