「なかなか冷え込まない冬」の早朝散歩(nya.1195)
霜柱に出会えない今年の冬です。 (2020年2月7日)
1月20日の大寒を過ぎた頃から、私は朝目覚めるたびに、自室の窓から外を覗いて、まだ夜の明けない空の雲の量と、田んぼの土の「白さ」を確かめるのが習慣になっています。
私の起床時間は大体午前6時半頃。
冬至の前後1ヵ月は、日の出の時間が午前7時過ぎですので、6時半では真っ暗な夜の空ですが、大寒の頃にもなると段々と夜が明けるのが早くなっていることに気付きます。
そうなると、6時半でも自室の正面に見える「山ぎわ」がかすかに明るくなるので、まずは雲の量チェック。
うっすらと明け始めた空に、雲は影絵のように黒く浮かびますから、「今日はイケるかな?」と第一関門の合否を確認するのです。
そして、本当にあっという間に、わずかな時間でみるみる夜が明けていき、真っ暗だった田んぼがモノトーンに浮かび上がってきます。
その日の気温はPCでチェックしていますが、実際に真っ白になるくらい霜が降りているかが第二関門です。
私の住む田舎は温暖な地方なので、薄っすらと白いくらいの霜では、朝日を浴びるとたちまち消えてしまいますから、理想としては、霜柱が出来るくらい「しっかりと」フローズンの世界になって欲しいのです。
そして、第一、第二関門をクリア出来ていたら、、、「冬の早朝散歩にGO!!」です。(笑)
ところがところが、、、今年の冬は、なかなかそんな朝に出会えません。
冬の早朝散歩の醍醐味の一つは、霜柱をザクザク踏んで歩くことなのに、今年はそこまで冷え込まないのです。
1週間ほど理想を追い求めて待機したものの、「こりゃいかん、このまま待っていたら春になってしまう(汗)」と思い直し、「うっすらと霜が降りた冬の早朝」で手を打つことにしました。(嘆息)
「行く」と決めたら、急がなくてはなりません。
有明の月も、柔らかくピンク色に染まる雲も、日が昇ってしまえば消えてなくなってしまいます。
ダウンのオーバーパンツを履いて、毛糸の帽子を被って、背中にカイロを貼って、デジカメを持って、くーすか寝ている風太に「一緒に行こう」と誘って振られて、長靴を履いて、竹藪を抜けて、見晴らしポイントに急行します。
そして後は祈るのみ、です。
冬は、例え地上は無風でも、上空は強く風が吹いています。
さっきまで「北の山くらいしか雲がない、しめしめ♡」と思っていても、日の出を待つ間にも東の空まで雲を運んでくることもあります。
雲の流れにやきもきしながら日の出を待っている間も、大忙しです。
ちょっと小高い丘になっているそこは、東西南北の空と山が見えるのですが、山の起伏の影響で、東の空の日の出前にも、西の山が朝日を受けて赤く染まったり、北の空の雲がきれいだったりと、油断できないのです。
足元の霜を置いた草もそうです。
それまでモノトーンだった場所が、その時だけ射し込む朝日を受けて輝いたりします。
どれもシャッターチャンスなので、私は丘の上で文字通り東奔西走します。
冬の早朝に散歩するなんて、結構「趣」のあることをしているにもかかわらず、心の中は「あわわ、あわわ」な貧乏性の自分が可笑しくなります。(笑)
平凡な一日、平凡な朝、平凡な田舎にしては、分不相応なくらい「見どころ」があります。
やっぱり、いろんなことがあるけれど、この星は、ルイアームストロングが歌うように『What a Wonderful World(この素晴らしき世界)』なのだとしみじみ分かります。
そして、1000年前に清少納言が『枕草子』で
冬は早朝(つとめて)。
雪の降りたるは、言ふべきにもあらず。
霜のいと白きも、またさらでも、いと寒きに、火など急ぎおこして、炭持てわたるも、いとつきづきし。
冬は早朝。
雪が降り積もっているのはもちろん、霜が真っ白に降りているのも、またそうでなくても、はりつめたように寒い朝、火などを大急ぎでおこして炭火を部屋から部屋へ運んでまわるのも、いかにも冬の朝らしい。
と言うように、【冬は早朝】が【いとつきづきし(しっくりくる)】と思います。
(おしまい)
次は
です。