誕生日プレゼントは「ブログと友人のマラソンと体重ベア」 (nya.120)

ねこ、風太 巡回

巡回中じゃ。ここは、通過点に過ぎん。

『思えば遠くに来たもんだ♪ この先どこまでゆくのやら♪』 (2016年10月)

病院の検査とブログの開設に追われた10月、気が付けば「49才のお誕生日」を迎えました。

【乳癌ステージ4】と知ってから3回目の誕生日を「忙しく」過ごせるなんて、「どれだけ幸運なんだ、私」と、・・・しみじみ感謝する「心の余裕」をなくすほど、「寝ても覚めても」ブログに悪戦苦闘していました。(涙)

ブログが、何とかスタートラインに漕ぎつけたのは「お誕生日の」3日前、「おおお、できた!!これが今年の私の「私への」バースデープレゼント♡」と感無量です。

先は長いけれど、何はともあれ『新しいことを始められた自分』が嬉しいな、と思いました。

ねこ、風太ん?そんな私に、誕生日当日、友人が『マラソンを走るよ』とメールをくれました。

大学時代の友人ですが、出会った当初、ヤンキーのような「イケイケ」な感じでありながら、体育の授業で「ものすごく運動音痴なのに威張った面白い奴がいる」と思ったのが「きっかけ」で、友達になったというくらい、その頃の彼女は「スポーツ」とは真逆の位置に存在していました。(笑)

対する私は「運動神経」キレキレです。(笑)

それが、大学卒業後27年経た今、私は【乳癌ステージ4】で安静をモットーとする日々を送り、「運動神経が皆無」の友人がマラソンを走るのですから、・・・長生きはするもんです。(笑)

あの当時、27年後の自分を想像したとしたら、2人とも今とは逆の未来を想像したことでしょう・・・。

会って話せば、いつでも「大学の時と変わらない」私と友人ですが、大学卒業後、それぞれの人生を生きてきた歳月は、互いの立ち位置が逆転するほど「変化」が起きるだけの時間の長さがあったのです。合掌。

ねこ、風太うたたね「マラソン」に照準を合わせた友人は、マラソン当日が「私の誕生日」であることなど、多分、「すっ飛んで」いましたが(笑)、私にとってみれば、私のために身体を張って「お百度参り」してくれているようで、何やら有り難く思いました。(笑)

 

茫々と過ぎて行った時間の中で、「変わったこと」と「変わらなかった」ことをつくづく感じた「友人のマラソン」でした。

別の友人は「体重ベア」をプレゼントしてくれました。

独身の私はもちろん出産経験もなく子供もいないので、その「体重ベア」は、(友人が私の母に内緒で問い合わせた)私自身の生まれた時の体重で作られていました。

「抱っこ」してみると、体重5kgの風太よりずっと軽いはずなのに、『これが私がこの世に生まれた時の重さなんだ』と思うからか、ずっしり重く感じられます。

私自身が「私を抱っこ」した経験はないので、この感触は、母が乳飲み子の私を抱き上げた時の「追体験」なのだと思うと、不思議な感覚です。

ねこ、風太ねそべるまだ若い母が私を抱き上げた時、私は何を感じていたのでしょう・・・。

その乳飲み子が、49年の時の流れの中で、泣き、笑い、今の私に至る道を歩み、私になったのです。

「当たり前」のことでありながら「奇跡」のようにも感じて、これもまた、不思議な感覚を覚えました。

「体重ベア」を抱っこしたままアレコレ考えていると、「この重さは、私が【何も持たない】でこの世に生まれた時の自分の重さなんだ」と思いました。

身体以外、何一つ「自分のもの」を持たないでこの世に生まれた私なのに、今、「あれも、これも、自分のもの」と思っているものの多さは「執着の多さ」でしかないんだと、思いました。

人は皆、身体一つで産まれ、身体一つでこの世を卒業するのです。

貧乏人であっても、お金持ちであっても、こればかりは平等です。

この世で「これは自分のもの」と思っているものが、本当に「自分のもの」であるならば、あの世に持っていけるはずです。

でも、そうではなく、今「自分のもの」と思っているもの全てが「与えられている」ものだから、生まれ落ちた身体ですらあの世に持ち込むことが出来ないのでしょう。

「自分のもの」と「与えられたもの」

ねこ、風太ごろごろこれは「禅問答」の有名な 公案 『父母未生(ぶもみしょう)以前の本来の面目とは』 (あなたの父親母親の生まれる前の あなたは一体どこにいたのだ?)という問いに似て、私ごとき凡人が決して「正解」に辿り着くことのない難問です。

なぜ、こんな「小難しい言葉」を私が知っているかというと、国文学科の大学生の時「卒論は夏目漱石もいいな」と思うくらいには、漱石が好きで読んだからです。

漱石の作品は『夢十夜』が好きなのですが、心に沁みたのは『門』でした。

いろいろあった主人公が「悟りを得よう」と山の中の禅寺を訪れ、修行した時、この公案をいただいて煩悶します。

そして悟りを得られないまま短い修行を終え、日暮れの山道を下っていると、自分の力ではどうにもならないほど大きな山門の扉が大きな閂(かんぬき)で閉じられていて、立往生します。

すっかり暗くなった今、下ってきた山道を引き返して寺に戻るには遠く、かといって扉を抜けなければ「里」に帰れず、という状況に陥って途方に暮れます。

そして主人公は、思います。

この世には「門があることに気付かず生きている」人もあれば、「門を自力で開いて通り抜けられる」人もいるが、自分は、「門があることに気付くけれど、門を通り抜ける力はなく、ただ門の前に立ち尽し、見上げるばかりの人間なんだ」と思うのです。

私は読んだ時、「これは私のことだ」と強く思いましたし、それ以降「途方に暮れた時」は目の前に大きな山門が現れます。

漱石は「凡人」ではありませんが、「凡人の痛み」の分かる人でした。

友人がくれた「私の生まれた時の体重のクマ」を抱いていると、自分の執着の果てしなさが思い知らされました。

ねこ、風太おすまし松任谷由実が『やさしさに包まれたなら きっと 目にうつる全てのことは メッセージ♪(やさしさに包まれたなら、歌:松任谷由実. 作詞:荒井由実. 作曲:荒井由実. )と、歌うように、これもまた「神さまからのお誕生日メッセージ」なんだろうと思いました。

この世に生まれて49年、今年の誕生日プレゼント「友人のマラソン」と「自分が生まれた時の重さのクマのぬいぐるみ」は、『思えば 遠くに来たもんだ♪(歌:海援隊. 作詞:武田鉄矢. 作曲:山木康世.)と歌いたくなるほど、しみじみ歳月の蓄積を感じさせるものでした。

そして、49才で、【乳癌ステージ4】で、新しくブログを書き始めた私は、人生の最終コーナーをラストスパートしているのだと思います。

それが「ロングスパート」になるのか「ショートスパート」なのかは「神のみぞ知る」ですが、今は、確かな充実感とともに『この先どこまでゆくのやら♪』と、自分が【乳癌ステージ4】だと知った当初に、想定したより「少し先の未来」に視線をやる猶予が与えられた「喜び」と「幸運」に感謝します。

ブログを書くことは種を蒔くことに似て、この種が誰かの心に届いて「芽吹く」のは、私がこの世を卒業した後になるのかもしれません。

ただ、今、こうして種を蒔いているからこそ「いつか」芽吹くことがあるのですから、その時をただ信じて祈りながら、一粒ずつ、種を大地に埋めていく作業を続けよう、と思います。

私の中に流れる「百姓DNA」のなせる業ですね。合掌。(笑)

芽吹き

芽吹き

次は

です。

 

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誕生日プレゼントは「ブログと友人のマラソンと体重ベア」 (nya.120)” に対して2件のコメントがあります。

  1. ののはな より:

    ふふみさん
    ブログ100本超えおめでとうございます!ここに到達するまでに燃やしたエネルギーはすごいですね。継続力のない私は心から尊敬します。
    体重ベアというのがあるのですね。人生の壁にぶちあたったときに気づきと癒しを与えてくれそうですね。
    これはある程度年齢を経て効果を発揮しそうですね。私も欲しいなあ。

    1. ふるゆら より:

      「ののはな」さんコメントありがとうございます。

      「体重ベア」を貰った日に、私の母親に「これが私の生まれた時の体重」と言って渡したのですが、

      「こんなに重かったかなぁ」と首を傾げていました。

      たぶん、元気で若い時の母親には「重くなかった」私の体重が、年を取り「重い」と感じる年齢になったのでしょう。

      いろんな意味で「歳月」を感じる「体重ベア」でした。

      今ではすっかり我が家の一員となり、風太と対決させて遊んでいます。(母親が)(笑)

      ほんとうに「思えば遠くに来たもの」です。

      「体重ベア」オススメです。

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