樹木さん、お見事でした (nya.691)

 

曼殊沙華

上手にこの世を卒業された樹木さん、勇気をもらいました。 (2018年 9月21日)

今月の15日に、女優の樹木希林さんの訃報を聞きました。

「樹木さん、よかった、お見事、お上手でした」

というのが、私の感想です。

私のブログ(お元気そうでなにより 樹木希林さん (nya.572))でも触れたことがあるのですが、樹木さんは

2003年1月 網膜剥離で左目を失明

20046月 自分で触診して、乳がんだろうなあと直感する。

2004年9月 病院で検査を受ける。乳がんと宣告される。

2005年1月 仕事の都合で乳房の全摘手術を受ける。

術後、女性ホルモンを飲むように言われるが拒否、医者や家族からヤイヤイ言われて、やっと少しだけ飲むことにする。少しだけ、1か月飲んで身体の調子を慎重にみていると、これは飲んではいけないものと、身体が訴えていることを直感する。

 2008年  腸、副腎、脊椎に転移が見つかる。やがて全身癌と宣告される。抗癌剤治療、手術をせず13カ所の放射線治療をする。

九州の病院USAオンコロジーセンターで四次元ピンポイント放射線治療を受ける。担当医の植松稔先生は「抗癌剤治療のウソ」という本を書いた人。

2013年3月 全身癌と告白

2013年12月 九州で放射線治療

2014年2月 全身癌治療終了を報告

という病歴をお持ちの方です。

そして2018年9月15日、享年75才で都内のご自宅でお亡くなりになられました。

曼殊沙華

05年に右乳房を全摘手術、その後、腸や副腎、脊椎などにも見つかり、治療は約20か所にも及んだそうですが、私たちが時折りテレビを通して拝見する樹木さんは、いつも「あっけらかん」とされていました。

そしてやはり私もまた、同じ末期がんの体で「あっけらかん」と生きることを選択した者として、樹木さんの表情を確認する度に、バカボン♪のパパが大声で「これでいいのだぁ」と叫び、安心するのでした。

また、

最初のがんから14年。人生観、死生観も変わった。「がんがありがたい」と思えるようになっていた。「私の場合、体に広がる全身がん。でもがんに感謝。経験してなければろくに『死』にも向き合わず、内田(裕也)さんのこともちゃんと理解しようと思わなかった」

「がんが見つかってもおっかなびっくりしない。出ればつぶせばいい。がんには必ず要因がある。生活習慣も見つめ直す。簡単に治らないからこそ、自分に客観的になれ、生き方がつましくなった」と語っていた。

https://www.hochi.co.jp/entertainment/20180916-OHT1T50195.html

このような樹木さんの言葉に接する度に、樹木さんと私では天と地ほども異なる人間、異なるやり方であることは承知で、「うんうん、同じ同じ」と頷いていました。

曼殊沙華

そして、この度の訃報を聞き、「やっぱ、樹木さん、逝き方もお見事でした」と感心しきりです。

今回の引き金となったのは、8月13日に知人宅の外階段で転び、左大腿骨を骨折、15日に足にチタンを入れる手術を受けたことだそうです。

これは全くの憶測ですが、その折に一時危篤状態になったことで、樹木さんは「その時」が来たことを知ったのではないかと思います。

憶測に憶測を重ねると、その後の樹木さんは「延命治療拒否」をされ、ご自宅へ帰られたのではないでしょうか。

そうして自分の身仕舞が出来ない状態になって1ヵ月で、逝かれたのです。

自分が末期がんだと知った時、誰でも自分がこの世を卒業する時を想像します。

私も、何パターンも考えました。

その中で、今回の樹木さんの「逝き方」は、最上位の望ましいものの一つです。

自分で生きることを楽しめる時間は長い方がいいに決まってますが、楽しめなくなったら、その時間は短い方がいいと思います。

ある程度生きた人間にとって「がんがやさしい病気」だというのは、このようなコントロールが自分の選択によって選べるからです。

曼殊沙華

曼殊沙華

「人は誰でも必ず死ぬ」これは絶対ですし、当たり前のことです。

でも、この世を卒業する時のまえに「予鈴」を聞き、その時に至る準備があれこれできることは、滅多にありません。

この世を卒業する時、慌てないように、後悔しないように、納得してその時を迎えられるように「生きる」ことができるのです。

わたしもまた樹木さんと同じように「がんはありがたい」と思って生きています。

自分がこの世を卒業する時のことを思い描くということは、その時に至るまでの自分の生き方を真摯に考え、その時までに赦された時間を謙虚に生きることが出来るのです。

私のような迂闊者が「予鈴」を聞くことなくのほほ~んと生きていたら、確実に、間違いなく、絶対に大慌てです。

「え?ちょっと待って、あれとあれとあれがまだなんですけど」と、パニクって半泣きです。(笑)

・・・たぶん、私の場合「準備万端」でその時を迎えても、結局いくつか大事なものが抜けているのでしょうが・・・。(笑)

ともあれ、この度の樹木さんの見事な「逝き方」を知り、私は羨ましく思いますし、励まされ勇気をいただきました。

きっと、そんな風に感じるのは私だけではないはずで、末期がんだと知っても「あっけらかん」と生きていこうとする「がんマラソン」ランナーは、大いに励まされたと思います。

 

曼殊沙華

先日、友人から教えてもらった糸井重里さんの死生観になるほどと思いました。

自分が先にこの世を卒業して、残された人の悲しみに対しての発言です。

『それはね、手を振ればいいのよ。』『みんなが悲しんでいるところで、だまって手を振っていればいいの。つまり、ぼくらはみんな悲しむことまで含めての「関係」ですから。』

これからのぼくに、できることhttps://www.1101.com/hatano_itoi/2018-09-06.html

「死は当たり前」のことではありますが、自分が大切に思う人ほど、自分の死を悲しむと思うと胸が塞がります。

でも親しくなるというのは「悲しむことを含めての「関係」」なんだと私も思います。

そんな時に「あいつなりに、楽しそうに十分生きて、そのうえ見事な逝き方だったな」と思えたら、大いに救われます。

樹木さんは、そういう意味で最期まで優しい方でした。

樹木さんは、がんで亡くなられたのではなく、自分の選んだ生き方を貫き、天寿を全うされこの世をご卒業されました。

それでも涙を流す人たちに、静かに手を振られていると思います。

樹木さんの生き方と逝き方、お見事でした。

ありがとうございました。

おつかれさまでした。

安らかにお休みください。

曼殊沙華

曼殊沙華

 

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樹木さん、お見事でした (nya.691)” に対して 2 件のコメントがあります

  1. ひろみ より:

    こんにちは
    難しいテーマですね

    母が認知症で逝き、私はガンで良かったと思いました
    元気な時間は長く、動けなくなったら素早くがいいです

    ただ孫までいる樹木希林さんとは違い、小5の娘の成長が気になって死ぬどころではないです
    あと10年は頑張っていかないと!と言う頑張りも頑張らない日常を過ごしたい私にはストレスなんだ
    と、ブログを読んで思いました

    復職せずに娘の側にいる選択肢もあるのですが、生活を考えると難しい
    愚痴になってしまいましたね
    樹木希林さんの生き方に憧れるのは一緒です
    そろそろ終活もしなくては 動けるうちにですね
    何をするにも早い方がいいですから

    1. ふるゆら より:

      そうですね、ひろみさん、難しいですね。

      置かれている場所や環境によって、思うことも千差万別です。

      正解のないことと分かっているのに、それでも正解に近いものを見出そうと、あっちをうろうろ、こっちをうろうろすることを止められません。

      終活はですね、、、中途半端ながら「やってみた」私の経験からすれば、「やった方がいいい」です。

      終活することで、心の区切りが出来ることがいいです。

      それまでの自分が死を覚悟する病気だと知る前の自分と決別し、新しい自分になるための心の断捨離です。

      自分が本当に大切にしたいものは何かを知り、物だけではなく人間関係も整理して、これからは自分が選んだ大切にしたいものだけを大切にして生きていこうと思えました。

      終活は、生への執着を捨てるためではなく、新しくなった自分が、貴重な時を豊かに充実して生きるためのものだと思うのです。

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