”乳癌ステージ4“と知った時の感想 (nya.14)
普通に生活して、普通に仕事して、「こんなに転移があるなんて」あり? (2014年3月12日)
「手術も決めた」「左乳房全摘もする」、腹はくくった『もう、驚くことはない』と臨んだPET/CTの「結果発表」。そりゃもう、驚きました。
自分が乳癌だと知った瞬間と、今回自分が「乳癌ステージ4」だと知った瞬間、比べるのも詮無いことですが、「自分が乳癌だと知った時」は全身が硬直するほど驚き、「自分が乳癌ステージ4だと知った時」は全身が脱力しました。
「癌イコール死」ではなくなって久しい今、自分の周囲にも「癌を経験した人」が何人もおられます。癌は死に至る病気だけど、「癌イコール死」ではないという認識に基づいて、私も自分の乳癌「浸潤性小葉癌」を受け止めていました。
乳房は臓器ではないので、乳癌は他の臓器に出来る癌よりも生存率が高いという学習もしましたし、厚かましい取引ですが、「左乳房を差し出して命を助けて貰おう」と思っていたのです。
そんな胸算用は、自分の「真っ黒なPET/CT画像」を見た瞬間に「ドッカーン」と吹き飛びました。何しろ全身に転移しているのです。
「ステージ4」に分類されるだけでも「死を近くに意識」しますが、あの画像を見る限り、「死が目前」です。
医者も予想外だったのだと思います。前回の癌告知の後、医者の治療方針は、きっぱり「左乳房全摘手術で決定」というものでしたし、その場で大学病院に手術の予約を入れたくらいです。
自信満々な「手術は決定事項」的な発言から、一転「あ?手術はしませんよ。なくなりました。」と手のひらをを返した今日の堂々とした宣言。さすがです。
覚悟していた「手術」がなくなったのも「変な感じ」でした。
「手術して痛い思いをしなくてよくなって嬉しい」気持ちと、「手術が出来ないくらい癌が転移しているのが悲しい」気持ちがトムとジェリー状態です。
医者の言う「ステージ4」が、これまでの生活の中で耳にしたことのある「末期癌」だと、結びつくまでに少し時間がかかりました。
「末期癌」という音の響きは本当に「終末」を連想させられます。だから、「ステージ4」という言葉を使うことで、衝撃を和らげているのでしょう。
「余命は付かない」と言われたものの、私のこれからの治療は、『癌を制圧して消滅させる』ものではなく、『少しでも長く癌となかよく同居する方法を探る』ものになったのです。
「手術がなくなった」という意味は、「手術をして部分を取り除いても、無駄なくらい癌が全身に散らばっている」ということなのです。
ただ、私の「末期癌患者」にイメージとして、顔色が悪く頬が痩せこけている状態の人を思っていたのですが、そこに分類されるには、私は「あまりにも健康的」に過ぎるように思いました。
もうすでに長い間、あれこれと体調が良くない状態で過ごしてきた私ですが、疲れすぎないようにセーブしながら「普通の生活」「普通に仕事」を続けてきました。
私が最も衝撃を受けたのは、現状どこも痛くないし、食欲、睡眠ともにノープロブレムな私が、「末期癌患者」だったというギャップです。
これまでの一連の「体調不良」が末期癌の症状?
増加気味の体重で、肉付き良く、血色も良くなった私が末期癌?
「真っ黒なPET/CTの画像」を見る限り、これほど死に近い人間が、こんなに元気ってあり?
「ブラを付ける時に、カップの上にしわが出来る」という自覚症状しか持たない私が、末期癌。はぁ、驚きました。
再び別室に案内されました。
少し長く、涙が止まりませんでした。
看護師が2人ついて、先ほどの医者の説明を繰り返し、この後すぐに、左乳房のCTを改めて撮る、それが済んだら放射線医の所へ行くように言われました。
また、今回の一連の検査では「脳の転移」を調べられていないので、次回は「脳のMRI」を受けることになりました。
ああ、びっくりしました。ほんとに。
次は
”乳癌ステージ4“決定の日に「放射線治療を受ける?」と聞かれる (nya.15)
です。