私の相棒「バスピロー」(nya.398)
瞑想というには程遠いけれど・・・ (2017年12月1日)
私の入浴方法についてはブログの中で何度も「しつこく」採り上げましたので(笑)、「もう語ることはない」と私自身思っていました。
しかし、先日入浴中にふと「これって、けっこう大事なポイントなんじゃ?」と思ったので、さらに書こうと思います。
まぁ、今日のブログタイトルを読めば「一目瞭然」なんですが(笑)。
私の入浴時間は1時間、その間の流れは
①40℃のお湯に10分間、湯船に浸かり頭皮から汗が流れるくらいまで身体を温める
②頭皮マッサージをしながらシャンプー
③洗顔石鹼で、リンパの流れがよくなりますようにと思いながら顔、耳、脇、足の指、股間を洗う
④浴室チェアーに座ったまま「1分間ストレッチ」を腹式呼吸(10秒で息を吸い10秒で息を吐く)しながら10種類
⑤200mlの計量カップ8分目のお塩に、お塩がひたひたになるまで日本酒を注ぎ、それでつま先から始めて頭皮顔までゆっくり擦る
です。
ミソは「一生懸命」やらないことです。(笑)
私は「人は正しいことをし続けなければならない」という考え方が大嫌いなのです。
「身体にいいこと至上主義」の立派な方たちの、立派なアドバイスを聞くと「やる気が減退する」というへその曲がり方を持つ人間です。
人間なんだから、体調のいい時も悪い時もあり、前向きな時も後ろ向きな時もあって当然で、「どんな時も」正しいことをし続けないといけないなんて「身体に悪い」と思っています。
やり続けることが大切なので、「ああ、面倒くさい」と思う気分の時はいい加減にすればいいのです。
さて、そんな私の入浴で、欠かせない相棒がいます。
一つは「浴室暖房」、癌告知を受けてGETした保険金をつぎ込んでリフォームしたメモリアルな代物ですが、これなくして冬場にお風呂でストレッチなど「絶対にしない」と言い切れます。(笑)
二つ目は「浴室チェアー」、リフォームを機に新しいものを買い揃えたのですが、なかなか安定がいいので、座ったままストレッチするのに好都合でした。
三つめが「バスピロー」、今日ご紹介するのは「二代目」バスピローなのですが、「一代目」は、お風呂のリフォーム祝い(笑)に友人が贈ってくれました。
私は古民家の農家に住む人間で、当然のことながら幼少の頃は「五右衛門風呂」でした。
下で薪を燃やしてお湯を沸かす「五右衛門風呂」、要は巨大な鍋です。
浴槽に身体をあずけてリラックスすることはできない構造になっています。
我が家が「五右衛門風呂」から卒業したのは私が中学生になる頃でしたので、「薪の焚き付け」の上手い私は、キャンプの飯盒炊飯の時に非常に重宝されました。(笑)
そんな私が「バスピロー」をもらい、使ってみると「まことに便利」なものだと発見しました。
それまでバスピローなしで浴槽のふちに頭をあずけていた時は、首は約90°に曲がりのけ反って天井を眺めるかなり苦しいものでしたが、バスピローを使えば楽々です。
「これはいい」と毎日使い続けること2年、友人からもらった「一代目バスピロー」がさすがに劣化してきました。
もう、バスピローなしの入浴には戻れない身体となっていた私が、ネットショッピングで「コレ♡」と思ったのが、現在使用中の「二代目バスピロー」です。
[amazonjs asin=”B00SAVV9XS” locale=”JP” title=”マーナ 首肩じんわり バスピロー ピンク”]じゃじゃ~ん。
これはいい、おススメです。
まず第一に、お安いです。(笑)
第二に、小さいので収納場所を選びません。
第三に、とてもシンプルなのでメンテナンスフリーです。
そして何より「首肩のツボ押し」をしてくれます。
裏面に小さな吸盤が6個あり、浴槽のふちに吸い付いてくれるのですが、一つの場所に満足したらプチプチプチと吸盤をはがし、背中の辺りなどの気に入った場所に移動できます。
私の入浴①40℃のお湯に10分間、湯船に浸かり頭皮から汗が流れるくらいまで身体を温める、が断然楽しい時間になりました。
私という人間は「根気」がかなり欠乏していますので(笑)、10分間、湯船に浸かることに「飽きる」ことがちょくちょくありました。
10分間、お湯に浸かると「熱い」ので、肘と膝をお湯から出して体温調節するのですが、それでも嫌になってショートカットすることもしばしばでした。
しかし、このバスピローに「ツボ押し」していると、時間はあっという間に過ぎ、「もっと押していたい」という後ろ髪をひかれながら湯船から出るようになりました。
話は変わりますが、最近「瞑想」の力が再認識されています。
座禅やヨガのような本格的なものではなくても、短い時間でも、散歩でも、「何も考えない」時間を過ごすことが、精神的なデトックスになるし、生産効率も上がるということで、企業で取り入れているところも出始めているようです。
私のように雑然と生きることに喜びを見出す人間にとって、それでも「瞑想」は遠い存在ですが、これまでの経験則として「ブレイクスルーは入浴中に訪れる」と思っています。
仕事上でアイディアが枯渇して「なんとかならないかな」と数日考えていたことが、シャンプーで頭をわしゃわしゃしていたら「閃いた」ということが何度もあるのです。
「なんで毎回お風呂場なんだ」と考えるに、現代社会に生きる者にとって、外部からの刺激が遮断される空間が「お風呂」なんだろうという結論に達しました。
テレビやスマホを遮断することで、絶えずインプットされ情報処理を余儀なくされている脳が、お風呂という空間では「刺激から解放される」のだろうと思います。
「瞑想」のような厳しい「何も考えない」時間とは質、量ともに異なりますが、私のような凡人が日常生活を送る上で最も「瞑想」に近付くのが、入浴時間なのでしょう。
お風呂に入ったらやることは決まっていて、「考えなくても」次の動作ができるくらいに習慣になっている時、ニュースや日常の不平不満を考えずに過ごしている時、日常生活で考えても考えても訪れなかった「閃き」や「得心」が、すとんと心に落ちてきます。
これとよく似た時間の流れは、「風太とお散歩」です。
どの方向に向かうのか、どの道を選ぶのかは風太にお任せ。
私はただただ風太の後をついて歩き、道端に季節を告げる花が咲いていれば写真を撮るだけです。
風太とお散歩の間、私の頭は空っぽですし、気が付けばずっと微笑んでいて、「満ち足りている」という感覚を実感します。
いろんな情報をインプットして、少しでも賢く立ち回り、損をしないような選択をしようと汲々とする毎日。
しょうがないことですが、結局、遠回りしているようにも思います。
たしか阿刀田高さんの本だったと思うのですが、忘れられない一文があります。
『「正直者が馬鹿を見る」という言葉がありますが、本当に正直に生きている人は、「自分が馬鹿を見ている」ことに気付くことなく生きておられるので、「馬鹿を見る」ことはありません。』
正確な引用ではないのですが、こんな趣旨のことを書かれていて「ほんとにね」と膝を打ったのでした。(笑)
スマートでもクールでもない時間を過ごすことを「無駄」だと卑下することなく「大切にしたいなぁ」と「それでいいのだ」と思うのです。
参照
私の「おすすめ入浴法」①ストレッチを継続できる呪文があります (nya.104)
私の「おすすめ入浴法」②1分ストレッチと腹式呼吸 (nya.105)
私の「おすすめ入浴法」③頭皮マッサージで脳脊髄液の循環をよくする(nya.106)
私の「おすすめ入浴法」④お塩とお酒で手洗いする(nya.107)
私の「おすすめ入浴法」⑤私が「朝風呂」を選ぶ理由 (nya.108)
次は
です。
素晴らしい入浴法ですね。
瞑想……瞑想も人それぞれその人にあった方法で
いいのかも知れませんね。
私は静かに一人でボーっとしてる時に神様(?)と
心の中で会話する事があります。
「こんなに体の調子が悪くて生きる意欲のない私が
これ以上こうして生き続けている意味がありますかね?」
「もちろん。お前がいなくなったらお前の子供達は
どうなるのだ。」
「あの子達はもう大きいですよ。
一人は社会人、もう一人は内定も決まっていて
バイトでたくさん収入もあるので私がいなくても、
生きていけるんです。」
「いや。まだあの子達にはお前が必要じゃ。
金銭面だけではのうて、生活面、おいしいご飯を作り
掃除洗濯、破れたところは縫ってやり、何より
心の支えとして存在してやらんといかんのじゃ。」
「……そうですか…。」
という具合に。神様は何故か関西弁です。
ゆうこさん、私という人間は、嫁にも行かず子育てもせず、生まれ落ちた生家にパラサイトして生きていますので(笑)、ゆうこさんの言われる「母心」について、何を言う資格も持ちません。
が、後期高齢者の両親と同居していて、50年の「娘」キャリアがあります。(笑)
年々歳々出来なくなることが増えてはいるものの、親が生きているからこそ50才の私はいまだに「娘」でいられます。(笑)
誰かの子供でいられることは、何をしてくれなくても、心落ち着くポジションなのです。
※注、私自身はてんこもりにお世話いただいています。(汗)
今度「関西弁」の神さまに聞いてみてください。
きっとノリのいい方だと思われますので、「生きてるだけで丸儲け」とおっしゃられると思いますよ。(笑)
そんなもんですかね……
ではそのポジション提供のために
生きていかないと、ですね。
この神様は厳しくて
「当たり前じゃ。そんな事もわからんのか
あほんだらが」とか言われます。
そーですか、ゆうこさんの神さまは厳しくていらっしゃるんですね。
私はブログにも書きましたが、守護霊さまか守護天使さまに大いに守っていただいていることを自覚してはいるのですが、その「導き方」がちと手荒いのではないか、と常々思っているんです。(笑)
まぁ、私のように鈍くて頑固な「子羊」を導こうと思えばスパルタ式になってしまうんだと納得はしているんですが・・・(笑)
「愛のムチ」と信じて一緒にサバイブしましょうね。