彦根で鍵をなくして「あわわわわ」大騒動 (nya.544)
恐るべし脳内物質 ベータ・エンドルフィンの多幸感!! (2018年4月27日)
先週のブログで、私が【乳癌ステージ4】だと知って以来毎年4月に参拝している奈良の石上神宮へ5回目の「お礼参り」が出来たことをご報告しました。
その際、往復の交通費の「有効利用」として、奈良県から足を伸ばして滋賀県の彦根に向かい、多賀大社へも参拝する1泊2日の旅行を兼ねることにしました。
さらに「一石二鳥」が大好物の私は(笑)、どうせ母親(78才)を連れて歩くなら、叔母(82才)が増えても大した違いがないことに気付き『老姉妹まつごの思い出旅行 春編』を敢行しました。
旅行前は連日春らしからぬ「暑さ」ですっかり桜が散ってしまったのに、旅行当日は春物の服を呪うほどの「寒さ」でした。
老姉妹に風邪を引かれたら(私が)地獄に落ちると思い、大量の衣類に貼るカイロと「百薬の長」であるお酒を浴びせかけて初日の寒さを乗り切りました。(笑)
奈良の石上神宮から彦根まで、時折り見かける八重桜とすっかり新緑に変わった山々を眺めながら電車で移動、その間も「百薬の長」のお陰をいただいた老姉妹は、ご機嫌におしゃべりを続け、もう何回聞いたか分からない話をお互いに披露しては笑い合っていました。
彦根到着は午後3時くらい、さらに「百薬の長」を買い足し、タクシーでその日の宿『かんぽの宿彦根』に辿り着き、ようやく寒さから解放されました。
あまりの寒さに圧倒されて、その日の昼食は近鉄電車内で「旅の恥は搔き捨て」式「清酒 鬼ごろし1.5合と肉まん」で済ませてしまいましたので(笑)、暖かいホテルの部屋で、昼食用に買っておいた「柿の葉寿司」をいただきました。
折しも刻々と夕景に変わっていく時間帯で、「琵琶湖の景色を堪能する」ことを目的に押さえた『かんぽの宿彦根』の角部屋から見る琵琶湖の夕景は圧巻で、酔っぱらいの老姉妹もご機嫌でした。
半ば以上、桜を諦めての彦根入りでしたが、彦根城と『かんぽの宿彦根」のある湖岸沿いには桜が残り、宿の部屋からも桜が見えて本当に幸運でした。合掌。
そして国宝彦根城のライトアップされた夜桜をお堀に浮かべた屋形船から見ることもできました。
鏡面のように桜を写すお堀をゆっくりと屋形船から眺めた老姉妹は「このまま極楽へ行ってしまう」と言い合い、私の母方の家系特有のブラックなユーモアで船頭さんを笑わせていました。
老姉妹+私が「強陽性な酔っぱらい」であることのメリットは、3分もすれば見知らぬ人も陽気にしてしまうことで、この日も船頭さんが、彦根城のお殿様、井伊家のアレコレを楽しくお話してくだり、笑いの絶えない1時間になりました。
さてさて、屋形船から宿に帰って慌ただしく夕食を終えたあたりで、老姉妹のバッテリーが尽きました。(笑)
10時前には就寝、大浴場でお風呂に入ってから寝ることにした私は、「宴もたけなわ」となった老姉妹のデュエルないびきにかなり手こずりました。(笑)
「老人の朝は早い」のが鉄板です。
翌朝の「日の出」の時間が5時30分頃であることを確認した上でアラームをかけた私は、老姉妹を最上階にある展望大浴場に引率し、夜明けの琵琶湖を眺めながら再度極楽浄土へと導きました。
・・・ということで、ここまでは本当に順調だったのです。(嘆息)
お風呂も入ったし次は朝食です。
朝食の会場になっている別の階に向かう時、チェックインの時に渡されていた「2本の鍵」のうちの1本を叔母(82才)に渡しました。
朝食後、私は「煙を吐く」必要があり、老姉妹はお土産物を1階ロビー脇の売店で買うのだろうから、別々にお部屋に帰りましょう、という段取りでした。
一旦お部屋に帰ったら、お土産物と不要になった荷物をまとめて宅配便に出せば手荷物が軽くなるので、そうしましょう、そうしましょう、ということになりました。
結局は、何事ものんびりな老姉妹と売店で合流して部屋に戻り、チェックアウトの準備をしました。
この日は観光タクシーを9時に予約しています。
8時40分頃、「さて、出発」となり、叔母に「朝食の時に渡した鍵をちょうだい」というと「ない」と言います。
「・・・・・・・」
ここから戦いの火ぶたが盛大に落とされたのです。
最初は慌てませんでした。
ここは『かんぽの宿彦根』。
鍵は「昔ながらの旅館」そのものので、カギにチェーンが付きその先を1cm角のプラスチックの棒が長さ15cmくらいに繋がっていて、部屋番号が書かれているという「クラシック」な代物です。
今時の「カードキー」のような軽薄さの全くない、威風堂々とした風格があります。
つまり「見失う」ことがかなり困難な大きさなのです。
だからこそ、私は「これなら大丈夫」と思い、叔母に渡したのです。
今日の行動は、大浴場、朝食会場、売店、部屋という限定された場所であり、そのどれかに無いはずはないのです。
・・・・・ありません。(汗)
チェックアウト用にまとめた荷物のすべてと手荷物のバッグをすべてチェックするよう号令をかけました。
・・・・・ありません。(汗)
洋服のポケットも確認するよう言いました。
・・・・・ありません。(汗)
仕方がないので、フロントまで移動し、フロントの方に事情を説明しました。
フロントの方は「本当にありませんか?必ず見つかりますよ。もう一度探してください。見つからない場合は弁償していただくことになります」と言われ、スタッフの方を動員して、大浴場、朝食会場、売店、部屋を探してくださいました。
その間私たちは再々度、荷物のすべてを確認しました。
・・・・・ありません。(涙)
私はフロントの方に尋ねました。「弁償となるとおいくらですか?」
フロントの方は「よくあること」のように平静に教えてくださいました。
「セキュリティーの関係で館内すべての鍵を取り替えますから、30~40万円になります。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・(号泣)
引率責任者の私と当事者の叔母の瞳孔が開いた瞬間です。
そんな目も当てられない「てんやわんや」を予約した観光タクシーの運転手の方も心配そうに見守っておられます。
責任を感じおろおろする叔母のハンドバッグを私の目で確認するからと「店開き」しましたが、ちっちゃなそれにはありません。
次は母親の小ぶりなリュックです。
冬眠前のリスの頬っぺたのように何でも詰め込んである母のリュック、溜息をつきながら「店開き」を始ることにしました。
たぶん、自分のリュックをフロントロビーで「店開き」される恐怖に、母は心底怯えたのだと思います。(笑)
それくらいなら「もう一度身体検査をしよう」とズボンのポケットに手を入れたその時・・・。
「あったわ、こんなところに」
なんとまぁ、朝食前、姉である叔母(82才)に渡した鍵は、妹である母(78才)のズボンのポケットから現れました。(万歳三唱)
当事者である叔母と、引率者である私の必死にして半泣きの探索を「どこか」他人事のように余裕をかましていた母は、「いつ鍵を受け取ったか分からない」と言い、「ずっと携帯だと思っていた」と言いながら、私に鍵を手渡しました。
宿の方々が今なお鍵の探索をしてくださっているものが、「母のズボンのポケットにありました」と頭を下げ、チェックアウトをしてもらうよう頼みました。
午前9時20分のことでした。(笑)
引率者として、一時とはいえ鍵の管理を老姉妹に預けた浅慮と、身体検査を各人に任せた反省の弁を述べて『かんぽの宿彦根』を去りました。
まさに「旅の恥はかき捨て」です。(嘆息)
待ってくれていた観光タクシーの運転手さんに、出発が20分も遅れたことを詫びながら当初の予定通り多賀大社に向かいました。
旅行2日目は、前日の寒さが嘘のように暖かく、良く晴れて心地よいお天気でした。
観光タクシーに乗り込んだ私たち一行は、何度もお待たせしたことをお詫びし・・・そして笑い続けました。
鍵を紛失したストレスで「恐怖や不安を感じた時に分泌されるノルアドレナリン」が噴出、「弁償費用が30~40万円」と聞いた衝撃で、ノルアドレナリンがマックスとなり、母のズボンのポケットから鍵が発見された喜びで「幸福感や満足感を作り出す脳内物質セロトニン」が大量放出され、「人から褒められたり、目標を達成して充実感を味わったときに放出されるドーパミン」が加わり、老姉妹と私は「箸が転げてもおかしい」状態になりました。
そして確実に「極度の緊張状態によって増加するエンドルフィン」も感じました。(笑)
エンドルフィンは別名「脳内モルヒネ」と言い、鎮痛作用はモルヒネの6.5倍もあると言われているのです。
でもたぶん、一番ホッとしたのは観光タクシーの運転手の方だったと思います。(笑)
このような「悲惨な出来事」の後は、えてして険悪になったりするものですからハラハラしておられたと思います。
ところがアラウンド80の老姉妹と50才の私は、テンションマックスで笑い転げているのです。
叔母などは「今なら部屋の模様替えをして重い家具も持ち上げられそうな気がする」と言っていました。(笑)
こうして思いがけない脳内モルヒネを得た老姉妹は、その後に国宝の西明寺へ立ち寄った際もかなり急こう配の石段をものともせず登ることができました。
普通のテンションだと、勾配にひるんだのではないかと思うのですが、脳内物質から得られる多幸感が継続中だったのです。(笑)
全くもって、人間万事塞翁が馬とはこのことです。
多賀大社に呼ばれて立ち寄った彦根ですが、この日の朝の出来事も、もしかしたら神さまからの「サービス」だったのかもしれないと思いながら、元気に石段を登る老姉の背中を見上げました。合掌。
次は
です。
よかったよかった(´∀`)
結果オーライ、笑いでチャンチャンできてよかった(´∀`)
忘れもの、、すわっ、神隠しか?!と思いますが、ほぼ100パー、人為なのですよね(涙)他人ごととは思えません。。
たにぞうさん、ありがとうございます。
老姉妹は二人とも、鍵については「全く知らない」というか「記憶にない」と今でも申しております。(笑)
大変な珍道中でしたね!ストレスMAXからの多幸感MAXへの振れ幅が大きいですね。
そこで大笑いできるふるゆらさんとお母様、叔母様が素晴らしいです。
読むだけでこちらまで免疫力が上がりそうです。
ののはなさん、ありがとうございます。
何と言っても秀逸なのが、あんなに「威風堂々とした鍵」をズボンのポケットに入れたまま、客室からフロントのロビーまで、何度も立ったり座ったりしながら、何の違和感も持たなかった母の「私じゃないもんね」という思い込みの激しさでしょうか。(笑)
そして「どーして、気が付かないの」と他者を責めるには、互いに「・・・あった、・・・こんな所に・・・」と「もっとすごい」忘れ物をした経験を持つ者同士、「同病相憐れむ」気持ちしか持てません。(笑)
多様な経験こそ、他者に寛容になれるという典型ですね・・・。(笑)
ドキドキでしたね(爆笑)
険悪にならずに笑い転げられるなんて、ステキなご家族です!
かえでさん、ありがとうございます。
我が家の「血筋」は、「忘れ物」が多く、いつも誰かが何かを探しているのです。(笑)
ですから今回も、三人三様「・・・私かも」と自分を疑っての探索となり(笑)、みつかった時は「ああよかった、自分じゃなかった」という喜びの方が上回った次第です。(笑)
鍵が見つかって本当によかったですね。
皆さんの安堵からの多幸感を経てのハイテンション!
結果オーライとはこのことですね。
きっと、何度も思い出して、語って、大笑いのネタになるのでしょうね。
見つかった時は、30~40万、得した気分だったのでは。
読んでいる私も、よかった、よかったと胸をなでおろしました。
はちさん、ありがとうございます。
最中は「神隠し」かと何度も思いましたが、、、(涙)
蓋を開けてみれば、、、(爆笑)
叔母から母へどうやって鍵が移動したのかについては、さすが老姉妹、二人とも記憶になく「今もって謎」です。(笑)