【乳癌ステージ4】になっても「護られて」いるもの (nya.40)
田舎者(乳癌患者)の「信心」と神頼み事情(2014年4月)
玉石混交だけど、信心深いんです。田舎者は。
私は、典型的な日本人として『無宗教』な人間ですが、特定の「帰依する対象」を持たないという意味の『無宗教』なのであって、『信心』がないのではありません。
八百万の神さまを懐に納めてしまう【神道】の大らかさに、最も親近感を覚えます。
でも、普段の生活や人生の「善悪」「良心」「生きるための智慧」は、どっぷり【仏教】に依存し、既に血肉となり、私という人間を形作っています。
このバランスが絶妙で、とても居心地がいいのです。
何ごとの おわしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる
出家して「仏教に帰依した」西行法師が、「神道の真打ち」伊勢神宮を詠んだとされるこの歌が、『無宗教』な私の心の全てではないかと、常々思っています。
つまり、神道や仏教の「難しい理屈は分からなくても、ありがたい(何かがある)ことは分かる」と思っているのです。
田舎では、家を建てる時や、お風呂を直す時など、人生の大事には、必ず「そっち方面」の方に視て貰い、黄道吉日と吉方位を確認します。
「お風呂を治すなら、〇〇日から△△日の間」
「家の南西を触るのはは、□月まで待たなくてはいけません」
それを無視してことを進めると「良くないことが起きる」とされていて、相談すれば、「安心」が得られます。
「霊能や祈祷」に全てを預けることはないものの、難しい局面に直面した時は「そっち方面」のアドバイスを無視してはならないと、私を含め「真正の田舎者」は、年寄りから「耳タコ」に言われて育ちます。
ということで、【乳癌ステージ4】と告知された私の心に、やっぱり一度は「そっち方面」にお伺いしてみなくては!!という気持ちが、「がっちり」芽生えたのは、ごく自然なのことだったのです。
人生の一大事、「力のある」先生に拝んで貰いたいというのが人情であり、その際の拠り所は「口コミ」です。
最強のローカルネットワーク、「口コミ」ですね(笑)
今回私がお尋ねした「先生」は、友人がいつもお世話になっている先生でした。
不思議なのは、「そっち方面」にお願いすることを考えていると、必ず「そっち方面」の情報がもたらされることです。
それほど、田舎では「そっち方面」が、生活に密着しているのでしょう。
友人が車で1時間ほどかけて「先生」の所へ連れて行ってくれました。
ありがたいことです。合掌。
「先生」に、私の現状を伝えました。
私が乳癌であることを伝えると、「初対面」の人は皆一様に「・・・どこも悪くなさげな、あなたが?」という「微妙な不信感」で、私を二度見するのですが、「先生」もまた、少し驚かれた様子でした。
いろいろな「先生」がおられ、相談の仕方もまちまちですが、今回の「先生」は、気さくな女性の方で、雑談を交えて「アドバイス」をいただきました。
話の流れで、「先生」から「大阪の石切神社が(癌に効く)と有名なので、そこにお願いしに行ったらどうか」と言われました。
そこで私は、「いつも身に着けている御守りがあり、奈良の「石上神宮」なのだけれど、そこに行くのはどうですか?」とお尋ねしました。
実は今回、「これこそ」が、私が聞きたかったことなのです。
私は、放射線の治療中のある夜に、「石上神宮の御守りが出てくる夢」を見ていて、「石上神宮に行きたいな」と思っていたのです。
でも、奈良は遠いし、放射線治療を受けたばっかりで体調も良くはないし、「う~ん、また今度?かなぁ」と思いながらも諦めきれず、迷っていたのです。
「自分がいいと思える神社やお寺があるなら、(そこが貴女に合っているのだから)そこに行くべきだ」と先生は言われました。
先生の太鼓判をいただけたので、迷いがなくなり、すっきり「行こう!!石上神宮」と思えて大満足です。
さらに、私の兄が8年前にくも膜下出血に倒れ、半身不随の身体になっていることを知った先生は、「こりゃいかん、重症だ」と思われたらしく、他日我が家に来られ、仏壇とお墓をチェックされました。
問題の箇所の改善方法が指導され、両親には、20日間「般若心経」を合計1000回の「宿題」が与えられました。
20日間は、「先生」が私の病気平癒の「護摩祈祷」をしてくださるのだそうです。
私自身は、「霊感」や「霊視」というものに耽溺することはありませんが、田舎者の「信心」を持つ人間として、現実の延長線上に「そういうものはある」とナチュラルに受け止めています。
それに、乳癌が治るかどうかはさておき、私のために「祈ってくれる人がいる」ということは、なんとも「ありがたい」ことです。
これまでの人生を振り返って、「自分の力で生きてきた」と思えることは、ほぼ「ゼロ」です。
誰かに助けられ、何かに導かれ、「護られて」生きていることを確信しています。
今回、ほとんど自覚症状がないのに「乳癌」だと分かったことも、「今なら、ギリギリ間に合う」というタイミングで、知らせていただいたのではないかと思っています。
「何に」間に合うのかは、未来を見通す力を持たない私には分かりません。
ただ、【乳癌ステージ4】によって知らされた「死の予告」を受け止めて生きることで、「死に対して無自覚」で生きていた時とは、違う発想、異なる自覚を持つようになりました。
切実に「人生は有限なんだ」と知った瞬間から、これまでより、数倍「鮮明」な世界を生きている感触です。
【乳癌ステージ4】となったことで「得た」ものがあり、それは、人生を豊かに生きる上で、「とても大きな恵」です。
そして、「とても大きな恵」を受けた私は、やっぱりこれも「護られている」ということなのだろう、と思うのです。
次は
です。