天に口無し人を以て言わしむ(nya.412)

 

桜

「ここが分岐点」と思う1カ月でした。 (2017年12月15日)

天に口無し人を以て言わしむという言葉をご存知でしょうか。

人は心惑う時、折に触れて「神問い」しますが、天や神さまは直接「言葉」で答えを言われることはなく、何気ない日常の人との会話や、偶々目にした文章の中に「言葉」を偲ばせ、必ず答えをくださる、というほどの意味です。

人はこれを「思い過ごし」と片付けることもありますが、私にとってみれば何度これに救われたか分からないほど「確実なこと」です。

問い掛ければ「必ず」ヒントをいただけるという意味で、私は「天」を信頼して疑いません。

ここ半年ほど、私の心では何度もこの言葉が繰り返されました。

何度も何度も「この選択でいいのでしょうか?」と尋ね、その度に『天に口無し人を以て言わしむ』呟いて、答えが降って来るのを待っているのです。

このブログをしばらく読んでくださっている方は「はははん」と思われることでしょうが、私は「性懲りもなく」、休職、もしくは退職について悶々としているのです。

8月30日に右足首を腓骨骨折して休職すること2カ月、10月末に復職して1カ月がたちました。

当初からの想定として、長く休んだ分、再び「仕事仕様」の身体になるまではしばらく厳しいことになるだろうと覚悟しての復職でした。

「実際は」というとこれが想定を上回る厳しさで(涙)、「ぽっきり」心が折れました。(嘆息)

柿

8月の「骨折事件」そのものは不運な出来事でしたが、それによって自動的に「休職」を引寄せたことは、それ以前から、体力の限界を感じながら仕事を続けていた私にとっては「僥倖」ともいうべきものでした。(笑)

以前から、軽いめまいや気象病の頭痛を宥めたりすかしたりしながら仕事を続けていましたが、何より勤務中に「避けがたく」襲って来る睡魔にほとほと嫌気が差していたのです。(嘆息)

仕事がオーバーワークということではありません。

【乳癌ステージ4】であることを配慮して配属されている現在の職場は、同じく病気を抱える人にとって「垂涎の的」ともいうべき楽な『窓際』です。

そんな優遇された職場環境に身を置きながら、8時間勤務のうち3時間も「寝落ち」してしまう私は、「使えない」上に「身の置き所のない申し訳なさ」でいっぱいです。

同僚には事情を説明して、隣の席で「大いに舟をこぐ」私を「見なかったこと」にして許してもらってはいますが、働いていない35%強の時間を「減給」してはいないのですから、詐欺のようなものです。

梅

それより何より厳しいのは、「寝たくない」と思っているのに睡魔が襲ってくる時の精神状態で、毎日が「冬山遭難」です。(笑)

「寝るな、寝たら死んでしまうぞ、ダメだ、目を閉じるな、頑張れ」と大声で自分を叱咤激励するものの、午前も午後も睡魔に敗れて意識を失ってしまうことを繰り返すとことは本当に疲れます。

ここまで継続すれば一過性のものとも思えず、改善する見通しのない状況に、いくら「強陽性」の私でも前向きになる要素が見出せません。(嘆息)

もう2年近く、私にとって「職場に通うこと=睡魔との闘い敗れること」であり、「出勤=敗北感」という図式が、会社勤めを苦痛にしています。

それでも私が会社を続けてきたのは、どう考えても「恵まれ過ぎた職場」を与えられている幸運であり、稼働率がマイナス35%の毎日で「使えない」私であっても、与えられた業務はこなせているからであり、そして何よりサラリーマンの最大の魅力「月々の定収」を得ることで経済的に自立した生活が維持できるからです。

梅

言うまでもなく私は、改善されたとはいえ現在も【乳癌ステージ4】の身体であり、右足首を骨折したことで「横になって休む」他に選択肢のない「療養生活」が、骨折とは無関係に本当に心地よかったのです。

「療養」して初めて、自分の身体が「休みたがって」いたことをしみじみ実感し、願ったり叶ったりの「療養生活」を満喫ました。(笑)

そして2カ月間の「療養生活」が、もとより低空飛行だった私の体力を更に低下させてしまったことを痛感しています。(嘆息)

しかも、休職中ほとんど「無菌状態」で過ごしていた私は、復職した「その日」に風邪をもらったのです。

胃腸系の風邪だったようで、軽いムカつきが3週間近く続いたことも、私の心が「ぽっきり」折れる要因でした。

同じ体調であっても、【乳癌ステージ4】だと知る以前なら、ガンガン働く「気力」があり、実際にそうしただろうと思うのです。

でも今の私には、自分をそこまで追い込む「理由」が見出せません。

病を得て気弱になったというのではなく、今の私が求めるものが「ソコにはない」と知っているから、心がその方向に向かわないのです。

「諸行無常」ってほんとうですね。合掌。

榎

46才で自分が浸潤性小葉癌という乳がん患者だと知り、しかも「ステージ4」の末期がんだと知った時、私は「できるだけ長く今の普通の生活を続けよう」と思いました。

今の仕事も出来るだけ続けようと思ったのです。

それがその時の私にとって、納得できる生き方でしたし幸せだと感じていました。

ところが今は、それでは幸せを感じないのです。

3年半前【乳癌ステージ4】だと知った時、「あ?こりゃ死ぬな」と思い、残り時間が少ないことを覚悟して丁寧に生きよう決めました。

今の私が過ごしている時間は「付録」なんだという意識が常にあります。

「付録」なんだから、それまでの生き方と決別し、自分が満足する時間の使い方をしたいと思うのです。

【乳癌ステージ4】でありながら望外に赦された時間を過ごすのに、会社の拘束時間が長すぎると感じ、毎朝「敗北感」を背負って出勤し続けるには、定年退職までの10年間は長すぎると思っています。

せっかく神さまから「穏やかな時間」というギフトをいただいたのだから、もっと日々に喜びを感じられる時間の使い方がしたいのです。

こうしてブログを書いて読者の方に「ちょっとした息抜き」をお届けしたいし、体調不良にギリギリ精神力を削られることなく暮らしたいと願います。

そんな私は「わがまま」なんだろうか、いやいや社会人として27年休まず働いてきたのだから、そろそろ別の生き方を選んでも「罰は当たるまい」と思い悶々としているのです。(笑)

落葉

結論から言うと、「こうして」ブログに書いている時点で自ずから心は決まっているのです。(笑)

「わがまま」であろうが「浅はか」であろうが、恵まれたサラリーマン生活に別れを告げ、「月々の定収」を手離し、「貧乏だけどゆっくり流れる時間」を選ぼうと思います。

こうして長々と書いたのは、27年間のサラリーマン人生という膨大な時間の重みによる「慣性の法則の呪い」が、深々と身に沁みついていて、「辞めるぞ」と自分に言い聞かせないと、ズルズル仕事を続けてしまいそうな自分がいるためです。(笑)

ハナ肇とクレイジーキャッツさんが『ドント節』で歌われていますが「まったく」です。(笑)

サラリーマンは気楽 な稼業と きたもんだ

二日酔いでも 寝ぼけていてもタイムレコーダー ガチャンと押せば どうにか格好が つくものさ

チョッコラ チョイとパアにはなりゃしねェ

アッソレ ※ドンと行 こうぜ ドンとね

ア ドンガラガッタドンとドンと 行きましょ

伴侶を持たない私ですので、自分が働かない限り「収入が途絶」することがこれほど覚悟のいることだと思いませんでした。

落葉

近所の「氏神様」に手を合わせて聞きました。

散歩の途中にお墓参りをして「ご先祖さま」にも聞きました。

抜けるような青空を仰ぎ見て何度も尋ねました。

何度も何度も「この選択でいいのでしょうか?」と問いかけ、『天に口無し人を以て言わしむ』のを待ちました。

【乳癌ステージ4】である身で、「病気がよくなりますように」ではなく「これからどのように生きるべきでしょうか?」という贅沢な悩みですから、『罰が当たる』なら特大級の罰が当たるだろうと覚悟していました。

『YES』という明確な返答はいただけなかったものの、『NO』というメッセージも届きませんでした。

自分の「野生の勘」に従って、新たな道を模索しようと思います。

 

次は

です。

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天に口無し人を以て言わしむ(nya.412)” に対して17件のコメントがあります。

  1. のんち より:

    その言葉は初めて聞きましたが
    ほんまその通りだとアタシも思っています

    凄く深くいっぱい考えられたんだろうなって伝わってきます
    長い間お疲れ様でした
    これからはごゆるりと過ごされて下さいね♪

    1. ふるゆら より:

      のんちさん、ありがとうございます。

      久しぶりに考えても考えても決断に至らず、迷いに迷いました。

      ブログにも書きましたが、結局「神さまがいいようにしてくれるさ」と開き直る心が足りなかったために不安だったのです。(嘆息)

      これまでも、これからも、神さまの手のひらに転がされる自分であることを思い出したらスッキリしました。(笑)

  2. 絵里 より:

    ふるゆらさん、次のステップを迎えられるのですね。長い時間、いろいろな事を天秤にかけて考えて、あれこれ迷って頭の中がぐちゃぐちゃしても、ふとした瞬間に出口が見つかるものですよね。ご自分の「野生の勘」を信じてください。このブログを見て数日は、お仕事を辞められるのは、もったいないなと思いました。でも、ふるゆらさんの状況はふるゆらさんしかわからないことだし、ご自分の体と心に無理がない生き方が一番だと思います。
    ありふれた言い方ですが、自分の生きていく、先のことは皆目わからないのだから、病気であろうが関係なく、ふるゆらさんが思う通りに進んでください。

    1. ふるゆら より:

      絵里さん、ありがとうございます。

      私もいろいろ考えて、煮詰まって、ぐるぐるした結果、絵里さんが仰ってくださった「出口」に立つことが出来ました。(嘆息)

      先が見えないことに「恐怖」を感じて立ちすくむ時は、自分の中で感謝する心が足りないのだと、以前にも得心したはずのことに気付いて、進歩のない自分にがっかりしました。(笑)

      ともあれ休職することにした私ですが、考えてもみてください、【乳癌ステージ4】の身体で3年半も勤務を続けて来られた奇跡に感謝しなくてどーする!!と思うのです。(笑)

      こんな当たり前のことを「見失う」のですから、凡人が生きるって難しいのでした。(嘆息)

  3. かえで より:

    ふるゆらさん、とうとうご決断されたのでしょうか。これまでの悶々とした日々、どれだけ心が重かったか、想像もつかない程です。

    大きな節目を越えた先にどんな道があるにしろ、ゆるゆると幸せな時間をただただお祈りするのみです。

    ふるゆらさんの野生の勘、信じています!

    1. ふるゆら より:

      かえでさん、ありがとうございます。

      私も私の「野生の勘」信じてます。(笑)

      ご存知の通り、私は「口の立つ」人間なので、私のことを「理論的な人間」と好意的に誤解している人も多いのですが、実際のところ「気分と閃き」が8割方を占める人間です。(笑)

      今回の決断もまた、時間の経過とともに「ああ、やっぱ、そーゆーこと」と感謝し納得するのだと確信して、今は「不安いっぱい」ですが選択しました。

      とはいえ私は、人生の荒波を被りまくった「立派なアラフィフ」です。(笑)

      とりあえず再度休職して、心を落ち着けてから「決断」したいと思っています。

      喫緊の課題は、休職中に落ちた体力筋力の回復です。

      一旦休んで、ウォーキングに励みたいと思っています。(笑)

      1. かえで より:

        そうですか。体力筋力早く戻るといいですね。お休み中にまた新たな閃きもあるかもですね。

        1. ふるゆら より:

          そーなんです、徐々に低下したものだから私自身も認識していなかったし、復職して通勤すればそのうち戻るだろうと考えていたのですが、「甘かった」(嘆息)

          そのような経過をたどるのは「健康な人」であって、私のような「末期がん患者」は、そのような訳にはいかないのだと理解するまでに1カ月以上かかりました。(笑)

          春になる頃には、骨折以前の身体になるといいな、くらいに考えて、のんびりやります。

  4. ココア より:

    ふるゆらさん

    復職後あの『寝入り」は大丈夫なのかと気になっていました。
    悩み苦しんでいた文面に深く感じ入りました。
    私はお母様のすみれさんの方に近い年齢です、側にいたら抱きしめてあげたいです。
    「もう無理しなくていいよ・・・」と。
    明るい性格で何の困難も解決してしまわれるふるゆらさんに眩しさを感じるほど「バランスのとれた感覚の若さっていいなあ!」と元気付けられブログを拝見していました。

    ここまでくればお金には代えられない最高の生き方を編み出されるチャンスと捉えてはいいのかもしれませんね。
    自分の求める時空間と違うのであれば、この先の不安を想像しても答えにならないし、工夫次第で堂々と日常を過ごせる筈です。また、新たな発見が待っていて自分のものにしてしまわれる力が湧いてくるように思います。
    仕事ばかりではなく長年携わってきた事を辞める勇気も、体力のあるうちに決断すると次の生き方の助走になると思いますね。

    振り返れば人生の転機はどなたも沢山あるのではないか? あの時・この時の選択は時間が経てば〜進んだ今のこの道が性に合っていると思うのです。

    年齢を重ねても老いと病につきまとう不安を感じるものです。自然体に受け入れるよう日々楽しく過ごせますようにと心がけていますが、自分との対面が一番難しいです。
    お陰様で無事に今年も過ごせて感謝です。

    1. ふるゆら より:

      ココアさん、ありがとうございます。

      私が心の中で、自分に話しかけて慰めていた言葉を見事に網羅してくださっています。

      同じ言葉でも、こうして自分以外の方から掛けていただくことが、どれほど励みになり、安心させてもらえるものか、特大の安堵の溜息をもらしながら、コメントを拝読しました。合掌。

      『「もう無理しなくていいよ・・・」と。』

      と、誰かに言って欲しかったんだなぁ、と実感しました。

      『仕事ばかりではなく長年携わってきた事を辞める勇気も、体力のあるうちに決断すると次の生き方の助走になると思いますね。』

      そーなんです、今なら次の生き方、次の仕事を模索できると考えたんです。

      ほんとにほんとに、有り難いお言葉の数々ありがとうございます。

      障害を持つ兄の将来が不自由のないものであって欲しいと思いが、自分を縛って不自由になり、幸せだと感じられない場所に留まっていました。

      「兄の犠牲」なんてことを思うようなら本末転倒、自己欺瞞です。

      善意の押し売りほど、手に負えないものはありません。

      兄も幸せ、私も幸せ、と思える道を模索しようと思います。

      ココアさんも穏やかな月日を送られているようで嬉しいです。

      こうして互いに励まし合いながら、ゆるゆると生きていくのって素敵ですね。

      慌ただしい年末です、なにとぞご自愛ください。

  5. ゆうこ より:

    正しいです
    私も前からこんなに眠気に襲われて、ふるゆらさんはどうやって
    仕事を続けてられるんだろうと心配していました。
    想像を絶する辛さだと思います
    長年働き続けてたくさん納税してきたのです
    勇気が要るでしょうがピリオドを打つ時が来たのではないでしょうか
    ふるゆらさんはもしかすると70、80とは生きないかもしれません
    そうすると今は隠居生活に入るべき時かもしれません
    組織に属し、収入を稼ぐ事は立派な事です
    でも体調が悪かったり体力がなくて労働ができず
    収入なしで暮らす事も立派な事なのです
    私はDV夫から逃げる為に0歳と3歳と3人で叔母のツテをたよりに
    関東から山陰地方に逃げた事があります
    保育園の空きが無く、働けないので生活保護を受給して
    なんとか食いつなぎました
    子供達が中学、高校の時も病気になり仕事を辞めねばならず
    生活保護費で暮らしました
    実家ぐらしで家、土地を所有していても売り払わずに
    今は受給できると思います
    もしできなければ隣町に部屋を借り、その町役場に申請
    すれば良いのです
    今のふるゆらさんの状態なら立派にその資格を得られます

    1. ふるゆら より:

      ゆうこさん、ありがとうございます。

      私の求めていた「言葉」をいただけて、『ああ、こうゆうのもご縁なんだなぁ』と改めて不思議の念に打たれました。

      ゆうこさんが、このタイミングで私のブログを読んでくださっていて、こうして励ましの言葉をいただいて、その言葉に心がすっと楽になって、考えれば考えるほど『世の中上手くできてるなぁ』と人知の及ばない天の配剤に畏怖の念を覚えます。

      ゆうこさん自身がいろいろ大変な経験をされてきたからこそ、「ここぞ」という人を励ますポイントが分かることが出来るんだなぁ、とゆうこさんのお人柄にも感銘を受けました。

      私だけのことならここまで悶々としなかったと思うのですが、私にはくも膜下出血で左半身不随、高次脳機能障害の兄がいて、両親のいくばくかの蓄えは兄のために使い、両親と私が先にこの世を卒業することになっても不安のないようにしたいと願っています。

      そのためにも私の経済的な自立を手離すことに恐怖があり、躊躇して、悶々としていたのです。(嘆息)

      でもその兄だって、私の人生を犠牲にしたいとは思っていないことは分かっているんです。

      幸いなことに現代日本では「クラウドソーシング」のような在宅勤務もあるのですから、昔のような「内職」ではない「働き方」もあると思い、決断しました。

      今後新しい私がどのような景色を見ることになるのか、ブログでご報告させていただきますね。

      乞うご期待です。(笑)

      1. ゆうこ より:

        お兄さんとご両親が心配なのはよくわかります
        せめて自分だけはしっかりしないと…
        共倒れになってしまうじゃないかと…
        そしてすごく頑張ってこられた…
        そして今ふるゆらさんが辛い事になっているようです
        お兄さんがどうなるかという事は神様が掌握している事なので
        ふるゆらさんにはどうする事も出来ないのだと
        思います
        ふるゆらさんに出来る事は、
        お兄さんは大丈夫。きっとなんとかなる
        自分や両親がいなくなっても、不思議な方法で
        思いもよらないやり方で神様が助けてくださる
        私が仕事を辞めて無収入になっても、
        お兄さんが困る事にはならない、と思う事だけ
        だと思います
        理屈ではなく、思いきりアホのようにバーンと
        信じて委ねてしまうのです、神様に。
        これは少し勇気がいるかもしれませんが
        自分の手柄とか計画とか思惑、損得感情、心配、世間体などの
        人間的常識をどこまで捨てられるか…
        つまり完全に栄光を神に帰すということですね
        そしてふるゆらさんが安らぎ、重い荷を降ろして
        ひと息ついた時、少しずつ目の前が展開して
        神様のやり方でうまいことなっていくんだと
        思います。お金は通貨currencyで流れcurrentですから
        風や水の流れのように勝手に流れてくるものです
        「金を恐れるな」
        「金の不足を恐れるな」とイエスキリストが言っています。
        (キリスト意識が翻訳者を通じて語った言葉ACIMより)
        また「心の至福についていけ」
        「心の至福となることをすればニーズは満たされる
        腹も財布もばっちり満たすものだ」
        とも言っています

        1. ふるゆら より:

          ゆうこさん、ありがとうございます。

          重ね重ねのご忠言、心に沁みました。

          私の心の奥底に潜むのは「不安」だと思っていたのですが、ゆうこさんの言葉を通じて「不信」だったんだと得心しました。

          『理屈ではなく、思いきりアホのようにバーンと
          信じて委ねてしまうのです、神様に。
          これは少し勇気がいるかもしれませんが
          自分の手柄とか計画とか思惑、損得感情、心配、世間体などの
          人間的常識をどこまで捨てられるか…
          つまり完全に栄光を神に帰すということですね』

          ほんとうにその通りです。

          心の閉ざされていた窓がばぁ~んと開いて光が差し込み、薄暗い部屋の片隅でわだかまっていたものが消えてなくなりました。

          もう一度言います、ほんとうにその通りです。

          私はこれまでの人生、導かれ、護られ、救われていることを「確信」しているにもかかわらず、それら人知を越えた「計らい」に「身を委ねる」心を見失い、いたずらに「不安」を感じていたのです。

          私に必要なものは「不安と闘う」ことではなく、「不信を手離し」て大いなるものへの全幅の信頼を「思い出す」ことでした。

          『幽霊の正体見たり枯れ尾花』

          ゆうこさんのご忠言で、私にも『正体=不安』が見えました。(笑)

          見えてしまえば、なんてことのない『枯れ尾花=不信』です。

          ああ、すっきりしました。

          ゆうこさん、ありがとうございます。

          体調が良くなくて生きる気力が・・・、とおっしゃっておられましたが、ゆうこさんのお陰で光明を「取り戻した」人間がここにいます。

          このことが、ゆうこさんの喜びになると嬉しいなぁ。

          ほんとうにありがとうございました。合掌。

        2. ふるゆら より:

          追伸、このことをいつか近いうちにブログに書かせてもらいますね。

          ゆうこさんのお言葉をそのまま引用してもいいですか?

          私と同じように、心の窓が「ばぁ~ん」と開く方もおられるかもしれません。(笑)

          田舎の片隅で独り言をつぶやいているような私のブログですが、ゆうこさんからいただいたキラキラしたものを、私のブログを通じてまだ見ぬ「必要としている人」に届けられたら素敵ですよね。

          1. ゆうこ より:

            もちろんです
            ああ良かったです
            嬉しすぎます
            突破口が開いたんですね
            あの文は何者かが私に書かせてました
            私は重症の鬱病患者なので誰かに希望をもたせる
            事を書ける訳がないのです。
            妙なことに今日のふるゆらさんのブログの
            タイトルどおりの内容になってしまいましたね

          2. ふるゆら より:

            ゆうこさん、ほんとうです。

            私もゆうこさんのコメントや、他の方々からのお言葉をいただいて、これこそ『天に口無し人を以て言わしむ』なんだとしみじみ感謝しました。

            お会いしたことのない方々が、私へ「独りじゃないよ」と暖かい心を届けてくださいます。

            ゆうこさんのコメントを読む前の私と読後の私では、目に映るものの明るさが違います。

            No Rain、 No Rainbow

            大好きな言葉で、私のブログにコメントをくださる方に贈ってきましたが、今日の私はゆうこさんから特大の虹をいただきました。

            ありがとうございました。

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