「冬眠」ああ楽し♪ (nya.454)

冬の田舎道

冬の田舎道

外は寒い、部屋でぬくぬく、心が軽い♪ (2019年1月26日)

「出不精な人間にとって【冬眠】ほど楽しいことはない」休職して1カ月、これが感想です。(笑)

私が心底「理解できない」と思うのは、スケジュール帳がびっしり予定で埋まっていることを喜んでいるとしか思えない人たちです。

育児、仕事、家事、介護、趣味、習い事、忙しく動かざるを得ない人たちがいて、そのような「秋(とき)」があることは当然なのですが、そのような事情ではなく「忙しい自分でいることを楽しんでいる」人たちのことです。

私は、休日に予定がないことを喜ぶ人間なんです。

もちろん、気のおけない友人と過ごすことは楽しいので大歓迎なのですが、カスタネットのように「打って休んで、打って休んで」というリズムが必要で、「休んで」の時にとことん「休む」ことが必要です。

もちろん、これは個々人の「楽しみ方」に個性があるということであって、「善悪」「上下」とは無縁のお話です。

アウトドア派かインドア派かという分類でもありません。

インドア派の人でも「趣味」がインドアなだけで、インドアでアクティブに過ごしている方は多いですし、私の写真を見ていただくとお分かりのように、私はアウトドアで過ごすことを楽しんでいるという意味において、お散歩専門のバリバリ『アウトドア派』です。(笑)

「せっかくのお休みなのに家に閉じこもっているなんて、もったいない」と思う人あり、「やったぁ~お休み、どこにも出掛けずゆっくり過ごそう」と思う人ありで、私は後者の人間だというだけのことです。

アクティブ(能動的)な人間かパッシブ(受動的)な人間かという分類で、私は圧倒的にパッシブ(受動的)な人間なのです。

古木に絡まる蔦

古木に絡まる蔦

現在私は50才、【乳癌ステージ4】の身体です。

そんな私が、一体いつから乳がん患者だったのかというと「むむむ、よく分からない、・・・分からないけど30才の時にはもうそーだったのかも・・・」と思うのです。

身体の小さな不調に悩まされ始めたのがその頃からで、もはや20年、身体の不調のアレコレを宥めすかしながら仕事を続け、休日の目的は「体力の回復」という歳月を過ごしています。

そんな状態を20年も続けたら、それが習慣になるからパッシブ(受動的)な人間になるでしょう、と思われるかもしれませんが、私の場合、生まれついてのパッシブ(受動的)です。(笑)

じゃあ、小さい頃から大人しい目立たない子だったんですか、と問われると「全然」と答えるほかない「活発で男らしい女の子」でした。(笑)

豊かな自然の中で育ちましたので、家の中で過ごすのは雨の日だけ、山野を駆け巡って遊び、本を読むのは教科書で十分というアウトドアな子供時代を過ごしました。

私が幸いだったのは、今のような「いじめ」が蔓延する前の牧歌的な学生生活が許されたことで、田舎の閉鎖的な土地柄に強くある「協調圧力」の中、「活発だけど、群れるのが苦手」という変人ポジションがスポイルされなかったことです。

笹に枯れ葉

笹に枯れ葉

小学校高学年になると、思春期の女の子特有の「何をするのも一緒、トイレも一緒」という楽しさが理解できない自分に気付きました。(笑)

中学校ではクラスの女の子から「仲間外れ」の刑にされたこともあります。

ある日「何かおかしいぞ」と気付き、授業中に隣の席の女の子に話しかけると「ごめん、××ちゃんに、話すなと言われているの」と申し訳なさそうに教えてくれました。(笑)

××ちゃんは、以前から男子と普通につるんでいる私が目障りだったらしく、イロイロやらかしてくれていたので、「へぇ~、ごめんごめん、じゃあ、話しかけるの止めるね」と、気が小さくそして善良な隣の女の子に被害が及ばないようにしました。

その時は、先生まで「大丈夫か?」と聞いてくれましたが、家庭環境の「暴風雨」の只中にいた私にとって「子供のすることってかわいいな」程度でしたし、ここでも立派な変人ぶりを発揮し、気にせず男子とつるんで遊んでいると、リアクションの無さが「面白くなかった」のでしょう、うやむやのうちに終わりました。(笑)

高校の進学は、中学校の知り合いが誰もいない高校を選びました。

中学生時代の「変人」故に目立ってしまった自分を反省し(笑)、私という人間を誰も知らない所で、新しく「大人しく目立たない」キャラに生まれ変わりたかったのですが、すぐに失敗しました。(笑)

大学の進学の時もやっぱり反省して(笑)、高校入学時と同じように「新キャラ」でいこうと思い、今度は「友達作らない」作戦をとったのですが、順調に友だちが増えていきました。

ただ一人暮らしを始めて、私は1週間ぐらい誰とも会わず、話をしなくても平気で生きていける人間であることを発見しました。

ある時友人にそう言うと「ええ?あり得な~い」と言われたので「あらあら」と思い、私の変人項目に加えました。

最近テレビで 手相芸人の島田秀平さんの解説を聞いたのですが、生命線と頭脳線が離れていると「KY線」と言って『空気が読めない』キャラだそうです。

そこで私は「ピン☆」ときたのですが、なるほど私の両手には、ガッツリ力強いKY線が描かれています。(笑)

『空気が読めない』というと、ネガティブな感じですが、私のような「変人ポジション」をキープするには「気にならない」という意味でポジティブな感性ですね。

古木に絡まる蔦

古木に絡まる蔦

このように私は常に多数に埋没する自分を求めて失敗を繰り返したのですが、要は人の輪に入りきれない自分がいて、自分一人で過ごす時間が少ないと酸欠状態になってしまうのです。

その結果、とことん「パッシブ(受動的)」な私という人間が出来上がったという訳です。(笑)

でも、そんな私が、社会人となるにあたって選んだ就職先は「人に揉まれる」職場でした。(嘆息)

こんなに長く働くつもりはサラサラなく、寿退社までの「腰かけ」のつもりだったのですが、気が付けばお局になり「腰を掛けっぱなし」です。(笑)

変人である自分を十分に認識していた私は、「山の行より里の行」のつもりで敢えて「人に揉まれる」職業を選びました。

「山の行より里の行」という言葉は、修験行者の心得として、山の修行で身につけた功徳を里で実践することを言ったものです。

山に分け入って一人高みを求めて修行することを「聖」とするならば、いろいろな喜怒哀楽、生病老死、いろいろな品性の人間と交わって生きる里の暮らしは「俗」でしょうか。

でも「里」こそ人が生きる根本です。

自分を惑わすものを身の回りから排除して一人「聖」であることよりも、「俗」に身を置いてなお、自分を「聖」に保つことの方が数段難しいと思うのです。

私の場合そんなに大層なものではなく、私のような人間が、このまま自分の心地よい空間にのみに留まってしまえば、その狭い視野の中で人見下すような人間になるかもしれない、と考えました。

何年か、いろいろな人に交わり、いろいろな感情を味わうことが、人から距離を置きがちで「山」に篭りがちな私には、里での修行が必要だろうと選びました。

そりゃあもう、本当にいろんなことを学びました。(笑)

人の心の機微や様々な人間模様、仕事の仕組みやそれによって対価を得ることの厳しさや喜び、そして何より、自分という人間を学びました。

この仕事を選び、28年も続けることがなければ、私は自分のことをもう少し「出来た」人間だと誤解していたことでしょう。(笑)

自分という人間の小ささ、歪み、欠落に否応なく直面するという意味で、まことに「里の修行」は私を育ててくれました。

己を保って継続することの難しさと尊さ、小さな成し遂げる喜びを知りました。

散歩道 青空

散歩道 青空

そして、一周まわって今の私です。

右足首の腓骨骨折をして2カ月休職したとき、「オセロの駒がひっくり返った」ように、社会人になる前の自分が現れてびっくりしましたが、今の私はもう驚きません。

ただただ、心が軽いです。

出勤のために重い身体にムチを入れて起き上がることもなく、出勤して居眠り、身体の不調を同僚に言い訳することもない、背中が痛み始めたら横になって筋肉を弛めることが出来る毎日は極楽です。

だいたい睡眠負債のない今の生活を送れば、昼間に眠気が襲って来ることもありません。

あれほど眠気に悩まされていたことが嘘のようです。

【乳癌ステージ4】の身体でありながら、特に痛みに耐えることもなくのほほんと生活している私ですので、ついつい「普通」なつもりでいますが、「普通」の社会人として生活するには体力が足らないのだと思います。

エネルギーが枯渇した結果の「眠気」ではなかったかと思えます。(嘆息)

アクティブな人ならば、私の休職生活は退屈でならないでしょうが、もともと、出不精で引きこもりの私は、真冬の寒い時期に外に出かけずに過ごすことが楽しくてなりません。

こうしてブログを書いたり、本を読んだり、ユーチューブを聴きながら大掃除をしたり、風太と散歩したり。

私のような人間にとって、これぞ「地球滞在型リゾート」と感じるバカンスです。

幼い頃、家庭環境の厳しかった私は、周りの同級生が「保母さんになる」「お嫁さんになる」と将来の希望を話している時、喉から手が出るほど「穏やかな生活が欲しい」と心底思い、あこがれていました。

国語の教科書で吉田兼好の『徒然草』を読み、「山里に庵をむすぶ生活っていいなぁ」と、国語の先生が期待するのと違う意味で、吉田兼好に憧れました。

吉田兼好のようになるためには「いくらぐらい貯金がいるのかな」と幼心にも真剣に考えました。(笑)

そして一周まわって今の私です。

なんとまぁ、私って現在「山里に庵をむすんで」いますよね。(笑)

「山里」って、山と里の中間にあるからいいんだと、今の私にはよぉく分かります。

青空

青空

次は

です。

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「冬眠」ああ楽し♪ (nya.454)” に対して 4 件のコメントがあります

  1. ともろー より:

    こんばんは。
    絵に書いたような青空!ありがとうございます。

    心が軽い!最高じゃないですか。
    幼少期のふるゆらさんを想像してしまいました。
    極楽の毎日には風太さんがツンデレしながら寄り添ってるのが目に浮かびますよ。

    いつかお逢いしたいな。そんなおふたりに。

    身体も心もポカポカでいたいものです。

    最近の愛読書はなにかありますかぁ。

    1. ふるゆら より:

      おはようございます、ともろーさん。

      私の愛読書は・・・なんだろう?

      気に入った作品は最初に二度読み、それから何年か時間を空けて読むのですが、最近読み返したのは日本の女性作家の児童文学というかファンタジーというか、この作品はテレビアニメにもなったらしいので、ご存知かもしれません。

      荻原紀子さんの『レッドデータガール』です。

      超能力少女の物語ですが、日本の神道や宗教がベースにあって面白いんですよね。

      おススメです。

  2. ゆうこ より:

    ふるゆらさんが罪悪感なくおやすみしていて
    たいへん嬉しいです
    今ふるゆらさんはゆっくりのんびりする事が
    許されているのですから心置き無く休んでください
    今だけでなく永遠に休んだって良いのです
    休むといってもこのブログを書いてらっしゃるので
    偉大な仕事をしています
    毎日どれほどの人々がふるゆらさんと風太君に
    元気をもらっているのでしょうか
    入院中の人が消灯時間後に読んで痛みを紛らわせて
    いるかもしれません
    コメントにやさしいお返事をもらって涙している人が
    いるかもしれません
    このような事は天に大いなる喜びがあるでしょう
    地球全体を癒すのです
    一人でも誰かの心をあたためることが出来たら
    それだけでもう生まれてきた甲斐があると思います

    ゆっくりして長生きしたら親孝行、お兄さん孝行です

    1. ふるゆら より:

      ゆうこさん、ありがとうございます&お寒うございます。

      はい、全然仕事のことを思い出さないくらい「まったり」してます。(笑)

      「寒い時に、嫌々外に出なくていいって素敵♪」と、毎朝窓の外の「大霜」で真っ白になっている田んぼを見るたびに思います。

      ええ、もう、ばあぁぁぁ~んと、大いなる方々へ我が身を預けていますので、気分は大舟に乗ったものになっています。(笑)

      ゆうこさん、ありがとうございます。ゆうこさんからお言葉をいただいたお陰です。合掌。

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