冬の暖かな日差しと風太のゴロゴロ (nya.1538)

ねこ、風太 ゴロゴロ
やめられない♪とまらない♪

「ただひたすらに」風太がゴロゴロする姿のコマ送りです。合掌。 (2021年1月15日)

いやぁさすがに、風太が「宇宙一かわいい猫」と思っているのは私だけだろうし、さらに猫が好きじゃない人には「なんじゃこら(怒)無価値」だろうし、起承転結もないし、、、。

今日のこの企画は「いかがなものか?」と数秒悩んだのですが、大寒を前にしてここのところ本当に寒い日が続いて「冬ってキビシイ」とブルー入っていますし、冬毛の風太の「モフモフの毛皮」と、それに降り注ぐ「暖かな冬の日差し」をご覧になれば、少しは心がポカポカする方もおられるのではないかと思い、お届けする次第です。(笑)

風太と散歩すると、突然ゴロゴロ地面を転がり出すことがよくあります。

そういう時「永遠の写真素人」の私は、結構な高速ターンを繰り返す風太のゴロゴロの「ブレて使い物にならない写真多数」を見越して適当に遠近を変えながらシャッターを押し続けるのです。

この日は、枯れた冬草のサラサラ具合が余程気に入ったのか「いつまで転がり続けるかな?」と、相方として不安になるくらい長時間転がりました。

しかもフォトジェニックな風太は、「我ながら決まったぜターン」の度に、カメラに向かって「ドヤ顔」で視線を送るのです。(笑)

図らずも「暖かな冬の日差し、田舎道でただひたすらに猫がゴロゴロする」姿をコマ送りにした長編連続写真が出来上がってしまいました。

私の「風太LOVE♡」が、これをお蔵入りするのは忍びないと泣くので、広いお心でもってご笑覧いただければ幸いです。

人間、無意味なものに慰められるってことありますよね。合掌。

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冬の暖かな日差しと風太のゴロゴロ (nya.1538)” に対して2件のコメントがあります。

  1. コロン より:

    ふるゆらさん、こんにちは。
    以前、クリスマスにコメントを書かせていただきましたコロンです。

    風太くんの写真を見て、ほっとした気分になりました。

    自分の生死を考えた時に、常にではないですが、やはり生かされているという感覚を実感するからです。
    この世での役割がある間は、 この世で「私」と感じる認識は、この肉体を持って続くのだろうと思っています。

    ですので、死を連想する病を自分の身体に見た時に、色々なことが頭の中で掛け巡り、その時の自分のベストを選択しますが、あくまでも「その時」の「ベスト」であって、後で振り返った時に、後悔が全くないというの難しいのかなと思っています。

    ただ、唯一救いかな。と思うのが、ふるゆらさんが最初に書いてらっしゃる「自分の納得いく」治療法をできる限り選択することと、この風太くんの写真のように、自然に身を任せることが、人間の考えられること以上のその人にとってのベストを(へ)導いてくれるのでは。と思うからです。

    でも、人の心の持ちようが身体に大きく影響を与えることもその通りではと思っているので、運命が決められていて、本人には変えられないということではなく、死を目にすると怖さがありますが、もしかすると、死の怖さも含めた大きなものが、温かく自分を見つめているのではと思った次第です。(もちろん、全然死にたくはないですが)

    長くなりましたが、このような気持ちを、この風太くんの写真を見て感じました。

    長くなりましたが、引き続きブログを楽しみにしています。

    1. ふるゆら より:

      おおお、コロンさん、ありがとうございます♪

      風太のゴロゴロ連続写真、「ごくまれに」心にヒットする方がおられるかもしれないと、儚い希望をもってリリースしたのですが(笑)、そうですか、コロンさんの心へ届きましたか♪

      嬉しいです♪

      コロンさんの病状がどのようなものか分からない以上、的外れかもしれないのですが、私自身は、がん告知の衝撃でホワイトアウトしてしまった頭が少しクリアになった時、がんの治療やこれからの生き方を「何が正しいのか皆目分からないのに選択しなければならない」ことに愕然としたのですが、それでもよくよく考えてみれば「これって、普通の健康な人が生きることと同じ」だと思いました。

      私のように半世紀も生きていると、前触れもなく突然この世を去ってしまった友人知人が何人もいます。

      私の兄は、38才でくも膜下出血、左半身不随、高次脳機能障害で、車椅子生活になりました。

      私はがんでこの世を卒業する「可能性が大」ではありますが、他の要因で卒業することも十分にあり得ます。

      これまで生きてきて「何が正しいのか皆目分からないのに選択しなければならない」ことは多々ありましたし、これまたがんの治療法に限らないのです。

      だから、時を経たら間違っていたと思う選択をすることも「普通」で「同じ」です。

      そこで私は、一段ハードルを下げて、「満足」を求めず「納得」できたらOKにしました。(笑)

      正しくなくても、自分が幸せを感じられる方を選択したなら「納得」です。

      私の場合、乳がんステージ4だからといって、自分に病気を中心にした自己規律を求めたら「全然楽しくない」と分かっていましたので、「これまで通り普通に暮らす」ことに、何の規制もしませんでした。

      この暮らしが、私がこの世を卒業する時期を早めたとしてもOKと「納得」しています。

      しかも、風太と自然の中を散歩して、時折り目を合わせて「ひっひっひっ♪」と笑い合える今の暮らしに大満足です。(笑)

      コロンさんの「納得」は奈辺にあるのでしょう。

      お互いに「今を生きること」を大いに楽しんで、「がんマラソンランナー」としてゆっくりまったり、周りの景色を愛おしみながら歩きましょうね♪

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