【乳癌ステージ4】の神頼み 石上神宮は「起死回生」の神社でした。 (nya.42)

ねこ、風太立ち上がる、41

見たか、すんばらしいプロポーション。

石上神宮に呼ばれていたんですね、私。「起死回生」なんて出来過ぎです。 (2014年4月)

そして、奈良の石上神宮へお参りしました。

会社の休みの日を待って「日帰り」です。

片道3時間、往復6時間、神社滞在時間2時間。

私が「単独行動」することに、すっかり「過敏」になった母親を連れて行きました。

幸いこの頃には、放射線食道炎の痛みも消えて、食べ物を普通に飲み下すことが出来るようになりました。

そうなると「食欲」は一度も低下していませんので(笑)、体調も、体重もすぐに元に戻りました。

 

石上神宮、鶏奈良の天理駅からタクシーに乗り、15分くらいで石上神宮に到着です。

訪れてみると、20年前の記憶の通り、放し飼いにされた「きれいなチャボ(にわとり)」があちこちにおられます。

 

拝殿に向き合った時『やっと、帰ってこられた』という気持ちになったのは、もう何年も「お守りのお礼を申し上げたい」と思っていたからです。

ほんとうに、辿り着くことが出来て、ほっとしました。

 

石上神宮、拝殿「御祈祷」をお願いして、拝殿(国宝です)に上がり、新しいお守りをいただいて、何とも言えず安堵感に浸りました。

こんなに安心するなら、「これからは体調の許す限り、年に1度はお参りして、お守りをいただくことにしよう」と決めました。

 

拝殿を下りて、今度こそ、しっかり「石上神宮」を心に刻もうと、隅から隅まで眺めていた時です。

入口の開け放たれた門扉の前に「大書」されている

【起死回生の神社 石上神宮】

の文字が目に飛び込んできました。

「おおおおおっっ、これは正に、今の私が必要としているものではありませんか!!!」

 

石上神宮、新緑後から勉強したところ、「石上神宮」は、日本最古の神社の一つで、武門の棟梁「物部氏」の総氏神として信仰されてきました。

【布都御魂(ふつのみたま)】という「神剣」に宿る魂をお祀りしています。

由来は、神武天皇が九州の高千穂宮を出発し、船で海を渡り、大和に向い困難に見舞われた時、布都御魂(ふつのみたま)を捧げると、横刀のもつ不思議な力、起死回生の力によって神武天皇の一行は蘇り、賊も退散したというものです。

その神武天皇をお助けした【布都御魂(ふつのみたま)】を祀っているので、【起死回生】なのです。

また「物部氏」は宮廷の祭祀を司っていたとされています。

当時、祭祀や呪術が混然一体となった祝詞の中に、「物部氏」の秘中の秘とされた「死者を蘇らせる」ことができる祝詞『布瑠の言(ふるのこと)』があり、それがこの「石上神宮」に伝わっているので【起死回生】なのです。

さっき私が受けた「御祈祷」でも『布瑠の言(ふるのこと)』は唱えられていたのです。

布瑠の言(ふるのこと)とは、「ひふみ祓詞」・「ひふみ神言」ともいい、死者蘇生の言霊といわれる。

『先代旧事本紀』の記述によれば、「一二三四五六七八九十、布留部 由良由良止 布留部(ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり、ふるべ ゆらゆらと ふるべ)」と唱える「ひふみの祓詞」や十種神宝の名前を唱えながらこれらの品々を振り動かせば、死人さえ生き返るほどの呪力を発揮するという。

ウィキペディアから引用https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E7%A8%AE%E7%A5%9E%E5%AE%9D

と書かれてあります。

(ネット上でも、「スピリチュアル」大好きな方には、有名な「言霊」らしく、壮大なスケールで「褒め称え」られています。)

石上神宮、鏡の池【起死回生の神社 石上神宮】、知らないこととは言え、大変失礼いたしました。

・・・たぶん、もう、何度も、そのお力で救っていただいているのですね。

だから、【乳癌ステージ4】と診断された身体で、こうして奈良まで来られているのでしょう。

ありがたいことでございます。これからも何卒宜しくお願い申し上げます。はい、身を謹んで精進いたします。

心の中で「石上神宮」の神様に平身低頭しながら、【起死回生の神社 石上神宮】の文字を見つめ続けました。

多分、私が足掛け20年、しつこくお守りをしてたので、「ええ加減に、自分が(何に)お願いしているのかを知れ!!」としびれをきらして、この度「呼んで」くださったのでしょう。

私は、この日以降、『布瑠の言(ふるのこと)』という祝詞を何かにつけて唱えることにしました。

難しいことはさておき、日常の中で「急ぐ必要もないのに気忙しく」心が落ち着かない時に、単に「一から十」をゆっくり数えるだけで、心が「深呼吸」します。

無礼千万かもしれませんが、私は、お風呂に入って身体を洗う時も『布瑠の言(ふるのこと)』を唱えます。

つま先から頭のてっぺんまで「ゆっくり」と洗い、『布瑠の言(ふるのこと)』を唱えながら、私の身体に「共存」している乳癌細胞に、「どうか、このまま大人しくしていてね。」とお願いするのです。

こうして、私にとって「かけがえのない場所」となった石上神宮ですが、何事にも「相性」があり、向かない人もおられると思います。

「起死回生」をして「九死に一生」を得られたら、それは素晴らしいことですが、それでも必ず「死は訪れる」ものです。

どのような結末に至ろうと、自分というちっちゃな存在に、「大きな何か」が寄り添ってくださっていると、感じながら暮らせることの方が、よほど「ありがたい」と私は思います。

日本は何しろ「八百万」の神さまがおられるのです。

心を澄ませば、それぞれの人に合った、それぞれの神さま、仏さまに出会うことは「難しくない」と思います。

 

次は

「簡単」に終わってしまった身辺整理 (nya.43)

石上神宮、鶏お昼寝

石上神宮、鶏お昼寝

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