放射線療法4回目&ホルモン療法開始&母親参観日 (nya.27)

ここは、わしの場所ですから。譲れませんな。
ドキドキ、主治医と母親の「初顔合わせ」 (2014年3月20日)
肋骨の先っぽが骨折して、放射線医に強引に勧められた痛み止めの薬に含まれる「催眠」と、風邪薬に含まれる「催眠」による「ダブル睡魔」に襲われ、すっかり「ラリリ」状態、使い物にならず会社を早退した翌日も、「根性」出して病院に向かう「昭和」な私です。
前日、会社を早退して「明日、病院に行けるかな」と危ぶみながら帰宅。
直後にベッドにダイブし、こんこんと寝た結果、何とか復活しました。
約18時間「ヤクぬき」に徹したので、昨日ほどの眠気はありません。
会社の欠勤よりも、放射線治療の「欠勤」は何としても避けたい私です。
ただし、この日は、会社のシフト勤務で、もともとの休みです。
病院だけ行けばいいので、気持ち的には楽勝です。
今日は、放射線治療4回目にして、いよいよホルモン療法も開始する日で、どーしても「欠勤」したくなかったのですが、それに加えて、「どーしても」病院に行く必要が、私にはありました。
そーです。今日は、前々から予定していた「母親参観日」なのです。母親を病院に連れて行き、私の「変人」主治医と「ご挨拶」をするという、なんともスリリングな予定があるのです。
母親に、検査の結果、私が【乳癌ステージ4】だと伝えた時、乳癌の検査や癌告知を「 1人で済ませた」ことに衝撃を受け、「私が付いて行ったのに・・・」とひどく嘆きました。(ショックなのはそこか!!)と驚き、フォローのつもりで、「じゃあ、次の主治医の診察の時、一緒に病院に行って、主治医にご挨拶したら?」と言うと、「そーする」と言います。
主治医のキャラを考えると「不安がよぎり」(参照:乳癌の検査 針生検(細胞診)であやしい細胞を調べる (nya.4))、前言撤回したくなるところをぐっと堪えて「なるようになる」と「母親参観日」を設けました。
実際の病院の施設や医者を見れば、少しは安心するかと思うのです。
・・・ということで、放射線治療の方は、サクサク進んでいますが、今日から、ホルモン治療を開始し、併せて、骨転移対策の「ゾメタ」の点滴もスタートするのです。
今日のメニューは、まず、放射線、それから、血液検査、そのままゾメタの点滴、終わったら、おへその横に、ホルモンの皮下注射「リュープリン」、そして主治医の診察&母親の「ご挨拶」です。
放射線治療4回目は、指紋認証をして「放射線立ち入り禁止エリア」の中に入っていく娘を 目を丸くして見送る母親を「待合」に残して、無事終了。
次の血液検査とゾメタの点滴、リュープリンの皮下注射は、母親の同席がOKだったので、母親も満足そうでした。
リュープリンの皮下注射が、おへその脇の、下腹部の(豊かな)贅肉に直接注入されるため、「筋肉注射よりまし」くらい痛かった以外は、何事もなく、約1時間程度で終了しました。
その間に、看護師が来て、これから毎朝1錠、服用することになる錠剤「タモキシフェン」の説明をしたり、病院の事務の人が来て「高額医療費の申請の仕方」の説明をしたりしたので、あっという間でした。
そして、「本日のメインイベント」です。
この日の私の思考の大半は、「これ」に気を取られていて、看護師その他の方たちの説明も「上の空」だったほどです。(ソレが後ほど珍騒動を招きます。)
まったくもって「本末転倒」ですが、私にそこまで心配させる「変人」主治医のキャラは、侮れません(参照:「正式に」癌告知を受ける① (nya.9))。
私に対するのと同じように、母親へ言葉を選ばない「変人主治医」ぶりを見せつけ、母親をキレさせた場合、最悪「転院」です(涙)
私自身、自分の病状だけを悩みたいのに、主治医のせいで、2月以来「病院変わろうかな」と心が揺れ続けていたのです。
その後、治療内容を把握した結果、『主治医に会うのは3週間に1度でいいらしい』と知り、『それなら耐えられる』『この際、医者の資質より、真新しい病院の設備と装置を採ろう』と決断したばかりです。
ついに診察室に呼ばれました。母親を連れて、診察室に入りました。
結果としては、「変人」主治医は、意外なほど愛想よく「普通」に母親に説明しました。「やれば出来る子」だったんだ、と私は脱力しました。
それ以来、現在に至るまで、「変人」主治医に対する、母親の『幸せな誤解』はキープされています(笑)
改めて、私の治療方針を確認すると、今受けている「10回の放射線治療」が終わったら、毎朝1錠の「タモキシフェン」と、3週間に1度の通院のみです。
【乳癌ステージ4=末期癌】と診断を受けたにもかかわらず、末期癌患者って、そんなにのんびり「野放し」でいいの?と、本当に驚きました。
従来私の思っていた【末期癌=厳しい闘病=不快に耐える=長期間、病院に拘束】という固定概念が、がらがらと崩れ去りました。
次は
です。

椿と蜜蜂
何度もコメント 大丈夫ですか?
今日は 結果聞いてきました CEA CA15-3 3か月前から下がって 安心はできないけど少し安堵してます
ベージニオの時は じゃかん高いで横ばい
今のアナストロゾールが合っているようです
診察も二ヶ月一回になりました
マーカーが下がってから原発は消え 転移場所は変わらず 共存して何年もの方を見たので 私も 原発は目立たなくなっているので?それで長く行けたらいいと思ってます
ふるゆらさんは 今も骨 以外転移ないですか?
小葉がんは 転移先も浸潤がんと違うんですよね
他の 市の検査とかされてますか?
まいさん、大丈夫ですよ。
そうです、がん告知当初は、骨転移無数、リンパ節転移無数で数えられなかった私のがん転移ですが、今のところ、PET/CTで指摘を受けるのは骨転移のみです。
原発の左乳房は、PET/CT上では消えてますね。
転移の数が数えられるようになってからは、4→7→0→13→8と、薬効が切れると増え、違う薬で抑制することを繰り返しています。
ただ、、、、最初のPET/CT画像が「真っ黒」だったので、がん転移が多少増減しても「アレよりはまし」と思ってしまうんですよね。(笑)
市の乳がん検診とかは受けてませんよ、、、、メンドクサイので。
こんばんは 昨日は造影CT 年に三回 退院後ベージニオ飲んでる時より元気です フェソロも しこりで痛かったです 無くなったので快適
ふるゆらさんも ホルモン剤 6年飲まれたのは凄い
分子標的薬も長くて2〜3年 3〜からの人は凄いです
乳がんホルモン陽性 ハーツー陰性 YouTubeなどで
7〜8年 10年目 元気な方 何人か見かけました 私の行く病院に その方は再発して10年だそう なかなか死ねないと嘆いてたそう 闘病も長いと しんどいでしょうね
看護師さんが教えてくれました
「ようこそ、のら患者サークルへ」(笑)
まいさんが、快適な「のら患者」に仲間入りされていると知って嬉しいです。
私の場合、最初に見たPET/CT画像がとてもとてもディープインパクトだったので、治療開始前後は「坂道を転がり落ちるように」病状が悪化の一途を辿るとばかり思っていたのですが、現実には、、、「手遅れの幸せ」が待っていました。
手術も抗がん剤治療もなかったお陰で、闘病もせず、タモキシフェンが良く効いてくれたお陰で副作用もなく、誠にのほほんと暮らせて「え?こんなのアリ?」と首を傾げている間に月日が過ぎた次第です。
そーですね、だから、長い闘病がしんどいなんてことはないのですが、働くことなく長く生きているお陰で、貯蓄が見る見るうちに減っていく恐怖には直面しています。合掌。(笑)
こんにちは 4月末から2週間〜入院してました あいにく乳がんが進行してじゃなく良かったです
退院後 ベージニオ フェソロ ランマークも無くなりホルモン治療だけになりました 一粒飲むだけでいいの?不安ですが 金銭的に助かります
ふるゆらさんは 原発の大きさは初め?私は かなり大きく 骨転移が骨盤周辺でした
小葉がんは ペット検査で光らないとか⁈
私は 何も光らなかったです
またコメントすると思いますがお願いします
まいさん、お返事が遅くなってごめんなさい。
そーですよね、私もがん告知を受けてステージ4だと言われて、「薬は毎朝1錠、通院は月に1回」と知った時には「えっっ、そんなに野放し?」と戸惑いました。(笑)
がんの性質にもよるのでしょうが、たいていのがんは1cmの大きさになるのに10年かかると言われていて、自分がそれまでがんについて知っていると思っていたことが、ガラガラと崩れていきました。
だから「がんは人に優しい病気」とも言われていて、事故や突然死に比べたら、自分の生き方をじっくり考える時間的な猶予を与えてくれます。
あと、私の浸潤性小葉癌の原発は左乳房だったのですが、マンモでも超音波でも「疑わしい」としか分からない大きさで、生検をして初めて判明しました。
ところが、PET/CTを撮ってみると全身転移の骨転移無数、リンパ節転移無数の状態で、背骨は首の付け根から尾てい骨まで真っ黒、左大腿骨も骨転移で穴が開いていて、数を数えることも無理なくらいに転移していました。
その時のPET/CT、原発の左乳房もちゃんと黒く映っていたような?
ただし、その周辺のリンパ節も含めて真っ黒だったので、それらに紛れてはっきりと認識していません。
私は毎年PET/CTを受けていますが、その時々で映るがん転移の数も違っているので、そこはあんまり気にせず、「現状維持」なのか「増加傾向」なのかだけチェックしています。
何しろ、最初のPET/CT画像の衝撃が大き過ぎ、「こんなに全身にがん転移があっても、人間フルタイムで働けるなんてすごいわ」と妙な感心をしたものですから、多少の増減は「あの時に比べたら全然少ない」と思ってしまうのです。(笑)
まいさんも、マイペースで頑張り過ぎないように、生きている今を楽しんでください♪
治療ができている ステージ4は末期ではないです
小葉がん ステ4 9年目ですか 励みになります
まいさん、コメントありがとうございます。
そして、励みになると言っていただいてありがとうございます。
こちらこそ、励みになります。
「えっっ、私って末期がん患者じゃなかったの?」と、慌ててググってしまいました。(笑)
【「末期がん」という医学的な定義は存在しません。 がんの種類や患者さん個人の状態によって、「末期」の判断は異なります。 一般的に、がんが遠隔臓器に転移しているステージ4の状態を末期がんと捉えることが多いですが、必ずしもすべてのステージ4のがんが末期であるとは限りません。】
なるほど、勉強になりました。
ちなみに、2014年3月に浸潤性小葉癌ステージ4のがん告知を受けてから、「11年と5ヶ月」ですよ。
自分でも驚いています。(笑)
私も 家族いながら告知から1人 娘連れて行きながら待合室で待たせました。誰かに聞かれたくない1人で抱え込む性格 夫は心の支えはできない人です。身の回りしてくれるけど話しも聞いてほしい 少しでいいですょ私は51才ですが昭和でも私 年代は中途半端で弱いのも混ざってますので私は怠け者70〜ほんとに強い女性ばかりと つくづく思います。
内臓転移が出たら抗がん剤 けど私も踏ん切りがつきません このまま何とか分子標的薬でお願いしたいです。
「がん告知」を一人で聞きたい人は、猫派。
体調が悪い時は、黙って押し入れの隅で丸まっていたいですからね。(笑)
抗がん剤問題、悩ましいですよね。
「少しでも長くこの世に留まることが目標」と割り切れたらいいですけど、「楽しく楽に生きることが目標で、長短は神さまにお任せ」と思っている私にとっては「抗がん剤は、、、いいや」と思ってしまいます。
これは、医学的なものではなく、各々の人生観が問われている正解のない問題です。
医者は医学の専門家、私は私の専門家、私が何を思ってどのように生きてきたのか知っているのは私だけ、です。
まいさんも、大いに悩んで選んでください。
どちらを選ぼうと、これまでの人生の大きな決断がそうであったように、一片の後悔もないということはありません。
自分を幸せに出来るのは自分だけ、ま、「昭和的」に言うと『幸せは歩いて来ない♪だから歩いて行くんだよ♪』か『これでいいのだぁ♪これでいいのだぁぁ♪』です。(笑)