目標は「東京オリンピック」・・・4年後です。 (nya.110)

ねこ、風太 薮

はぁ、先は長いぜ

 

そーでした。合言葉は「目指せ東京オリンピック」でした。 (2016年8月)

相変わらず、体調は「低空飛行」を続けたまま、しかし「不時着」することなく、8月を迎えました。

ここまで来れば、夏も「あと一息」です。

私の天敵「クーラー」の息の根が止まるのは9月末。あと2カ月です。(涙)

毎年のことなので、8月は体調不良を見越して「連休」と「有休」をつぎ込み、出勤日数を極力減らす「お局さま」の私ですが、今年はカレンダーを睨み、「むむむ」と熟考して休みを組みました。

そーです、2016年は「オリンピックイヤー」、スポーツ観戦大好きの私としては、「どーせ休むなら」、見逃したくない試合が行われる日に休みたいのです。(笑)

家では「完全クーラーレス生活」の私ですので、日中は「熱中症」との戦いです。

8月は「自分一人シェスタ制」を採用し、昼食時に「一杯飲み」氷枕をしてお昼寝することで、一番暑い時間帯をやり過ごすようにしています。(笑)

ねこ、風太 なに?そんな「お昼寝たっぷり」の私にとって、地球の裏側のブラジルで行われるオリンピックは、「深夜から明け方」に試合が行われ、まことに有り難い巡り合わせでした。

水泳、体操、柔道、バトミントン、卓球、陸上、ラグビーなどなど、観て観まくり、燃え尽きました。(笑)

ああ、楽しかった。

日本人選手が活躍して「勝利」する姿を見ることは、この上なく楽しいのですが、この歳になると負けた選手にも共感を覚えます。

誰もが「全力を尽くした上で負けた」と清々しく思えたらいいのでしょうが、そうはならないことがあるのが「この世の定め」です。

その無念さ、虚しさ、自己嫌悪や自己憐憫が、「うん、うん、分かる分かる、辛いなぁ」と、思えるだけの人生の紆余曲折を、私自身も経験してきただけに、切なさが胸に迫ります。

気が付けば、中島みゆきさんの『ファイト!』を口ずさみます。

ファイト! 闘う君の歌を 闘わない奴等が笑うだろう

ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼってゆけ

暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼってゆく

光っているのは傷ついて はがれかけた鱗が揺れるから

いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね

やせこけて そんなにやせこけて 魚たちのぼってゆく

オリンピックに出場するアスリートほどに、自分の全てを捧げて努力したこともない「凡人の私」が、敗者の敗因をあげつらうようなことはすまい、と思うのです。

ねこ、風太 こねこ

楽しいオリンピックの後は、楽しいパラリンピックです。(笑)

まず、私はパラリンピックの「開会式」が大好きなのです。

満面の笑みでカメラに手を振る彼らを観ていると、「パラリンピックに出場すること自体」が、メダルに匹敵する喜びであり、障害を持ちながら、努力を重ねた自分への「ご褒美」だと感じているのが伝わってきて、こちらまで嬉しくなります。

オリンピックは「競技」ですが、パラリンピックは、本当の意味で「スポーツ」だと思います。

競技の勝敗以前に、障害を乗り越えてスポーツをしよう、と思った時点で、この人たちは「勝って」いるのです。

まして、国を代表してパラリンピックに出場するまでに努力した人たちが集合しているのですから、パラリンピックの試合を観ていると、選手同士が「お互いを勝者」として尊敬し合っていることが伝わってきて、「これが、本来のスポーツの姿」なんだと思います。

特に貧しい国から、十分な資金も援助もない環境を克服し、たぶん日本からは想像もつかない厳しい状況に置かれているだろう自国の「障碍者」のために出場している選手は、仏さまのように神々しいと思います。

宮崎駿監督のインタビュー記事を読み、忘れられない言葉があります。

たぶん不正確なんですが、監督の作品を作る上での子供たちへの思いとして

『この世は醜いことや、目を背けたくなるような悲惨なことがあるけれど、それでも、この世は生きるに値する素晴らしい世界なんだ』

と言われていました。

まことにもって、その通りだと思います。

ねこ、風太おすまし
そうして、2016年の「リオのオリンピック」は終わり、次は2020年「東京オリンピック」です。

2020年「東京オリンピック」!!

これこそ私が「目指している」目標です。(笑)

2014年3月、自分が浸潤性小葉癌【乳癌ステージ4】だと知り、乳癌の「10年後の生存率が25%」だと知った時、7年後の2020年「東京オリンピック」の開会式が見たいなぁ、と思った時から、私のスローガンは『目指せ2020年東京オリンピック』です。(参照:「乳癌ステージ4」の生存率は・・・ (nya.16)

あの時の私は「骨転移無数、リンパ節転移無数」で、本当に「死が目前」だと思い、7年先の自分の状態を想像するのが恐怖でした。

その後、2015年7月「癌転移無数から骨転移4か所」に転移が縮小して(参照:【乳癌ステージ4】な私の2度目のPET画像診断で劇的な好転 (nya.85))、リオのオリンピックを「元気に」観ることができました。

このまま、穏やかに時間が流れて、2020年「東京オリンピック」を観ることができたらいいな、と祈りました。

4年後の東京オリンピックの開会式はどんな演出なんだろう、と少し遠い先のことが自然に考えられるようになった私は、本当に幸せ者です。

その時まで仕事を続けられていたとしたら、「絶対に休職して」でも、東京オリンピックは「最初から最後まで完全に観る」と心に決めた、2016年8月でした。(笑)

西洋朝顔とカラスアゲハ

西洋朝顔とカラスアゲハ

次は

ハウステンボス「九州一 花火大会」珍道中① 予約 (nya.111)

です。

 

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