分子標的薬アフィニトールの副作用は大波だけではなかった12月 (nya.3447)

ウエストゴムの服は簡単にサイズ直しができるんですよね(笑)(2024年12月)

 

9月から始めた【分子標的薬アフィニトール+アロマターゼ阻害薬エキセメスタン】の服薬後、ザッパーンザッパーンと押し寄せる副作用の大波小波、「それでもまぁ、肝心の腫瘍マーカーの数値は下がってるし、ベッドから起き上がれないようなこともないし、買い物して、料理して、その他家政婦業もこなせてるし、風太と散歩も出来ているから、、、良しとするか」と、生来の楽天的な性分と「昭和の体育会系的ど根性」で、何とか匍匐前進を続けた10月、11月。

12月になると、僅かながら、「悪いながらも体調が落ち着いたのではないか?」と、思えるようになりました。

とはいえ、10月から私に襲いかかった【分子標的薬アフィニトール+アロマターゼ阻害薬エキセメスタン】による副作用(味覚障害、食欲が消失、微熱、口の端が切れる「口角炎」が治らずに常態化、歯槽膿漏、皮膚が弱くなって些細な傷の治りが遅い)は、しっかり居座っていました。(嘆息)

ただ、それなりに順応して生活できるようになった感じです。

ただ、順応することに忙しすぎて「まぁ、これは考えんとこ」と思ってやり過ごしてきた体調不良が、落ち着いたら「いや、これって問題化も?」と、いろいろ見えてきたんですよね。(嘆息)

1つ目は、口角炎と歯槽膿漏です。

私の「味覚障害」と「食欲が消失」が始まったのは10月の始めのことでしたが、それと同時進行で口角炎と歯槽膿漏も発現していました。

体調不良で口角炎、何の不思議もありませんが、私の場合【皮膚が弱くなって些細な傷の治りが遅い】が加わって、口角炎が一向に完治しないどころか傷口が深く深く刻まれしまい、ただでさえ「味覚障害」と「食欲が消失」しているところに、「頑張って食べるのだ、私」と意を決して口を開けると、口角炎の傷口が開いて激痛が走るという地獄でした。(号泣)

1日3回、食事の間中ピリピリズキズキするという拷問、それでも食べることを放棄しなかったのは、一重に「昭和の体育会系のど根性」に他なりません。

ヒンズースクワットで過呼吸になりかけた青春の日々は、無駄ではなかったのです。(笑)

そして歯槽膿漏、これも難敵でした。

私の歯の質は良いものではなく、幼い頃から虫歯になりやすいため「トラウマを抱えるほど」に歯医者に通いましたし、40代になってインプラントを入れてからは、3ヶ月に1度歯医者に通ってメンテナンスとクリーニングを受けています。

それでも、虫歯にはなりやすかったものの、人生を通じて歯周病や歯槽膿漏とは無縁に生きてきました。

んがしかし、【分子標的薬アフィニトール】最大の副作用は「口内炎」、つまり口腔内の免疫力が低下するというもので、私の場合口内炎が1つしか出来なかったのと引き換えに、あっという間に歯槽膿漏になったのです。

しかも2か所(左下と右上)同時に。(号泣)

この2カ所、、、どちらも「被せ」をしていた歯が経年劣化で悪化し、抜歯する他ないというものでした。

左下は、抜歯した後、前後の歯にブリッジを掛けるのが難しいと言われて「はぁ、そうですか、目立たない奥歯だし食べるのに支障がないならそれでいいです。」と諦めたものでした。

右上は、がん告知を受ける前後に治療を受けていて、乳がんの放射線治療の間も治療を継続していたのですが、午前中に放射線治療、仕事終わりに歯医者ということになり、「体力的に歯医者に通うことがあまりにもしんどい」ことを訴えて、「抜歯して、予後が悪化しないように処置してもらったら、そこで一旦中断できるようにして欲しい」と、歯医者にお願いしたものでした。

特に右上は、骨転移無数、リンパ節転移無数の多発転移がんでステージ4ということを知った以上、この世を卒業するまでの時間から逆算して「あと数年だしね」と「中断してもOKなんじゃ?」と思い、決断したのです。

ところが、何ということでしょう、「あと数年だしね」なんて思った私の予想は大きく外れ、想定外の10年が経過してしまい、この有様を招く結果となったのです。(泣)

【分子標的薬アフィニトール+アロマターゼ阻害薬エキセメスタン】の副作用で「あわわあわわわわわわ」と遭難しかかっていた10月、11月の私にとって、退職した職場の近くの歯医者に、車で1時間かけて行くことが限りなく遠く思われ、ドラッグストアで「一番高額の」歯槽膿漏用の薬用ハミガキを買って、これ以上悪化しないことを祈りました。

当然ながら、病んだ左下と右上で咀嚼することは適いませんし、いよいよ食事は、味覚障害、食欲消失、口内炎、歯槽膿漏のハンデを背負った「無理ゲー」となりました。

それでも食べることを放棄しなかったのは、一重に「昭和の体育会系のど根性」に他なりません。

この頃の私は、1時間以上かけて「朝食をこなして」いました。(笑)

2つ目は、10月、11月で、体重が10kgも減ったことと、足の指先の痺れと足の裏の「違和感」。

人生の大半をごくごく中肉中背、爆食いしても、爆飲みしても、馬車馬のように働いても、「ブレない中肉中背」だった私は、乳がん治療でホルモン療法を始めた1年で10kg成長しました。

その後も「成長期」が続き、中肉中背だった私は、不動の「M」から「3L」が心地よいと感じるまでに成長していたのです。

私は常々「健康寿命=小太り最強」説に賛同していますので、小太りを越えて太った自分も「また良し」と受け入れて、10年間「がんサバイバー」として歩んできたのです。

入らなくなった服「M」はバッサバッサと処分し、無収入の自分に見合った「3L」を「ファッションセンターしまむら」とネットを駆使して格安でGET、新しい自分を新しいファッションで包んで楽しんでおりました。

がん告知を受けた46才まで中肉中背だった私ですが、世間の「痩せてる自分が正義」という風潮を「けっっ」と思っていましたし、大雑把な性格ゆえに体重計に乗る習慣も持ち合わせず、がん治療を受けるようになっても、体重を計るのは2カ月に1回「内科の診察を受ける時に計れというから計る」のであって、その度に拡大成長する自分に「おおお」と思うくらいでした。

そんな私の洋服のウエストは、当然ながら「すべてゴム」、多少の増減にびくともしない頼もしい相棒です。

んがしかし、何ということでしょう、12月に入る頃には、そんなゴムのウエストがゆるゆるになって、ずり落ちるようになってしまいました。

「痩せてきてるな」と思っていましたが、まともに食べられない日々が続いていますので「そりゃそう」と流していました。

けれど、脂肪に埋もれで消失していた鎖骨の窪みが、10年ぶりに復活しているのを発見してしまっては「こりゃ、ただ事ではない」と認識せざるを得ませんでした。

2ヶ月で10kgも体重が落ちれば、体力、筋力、免疫力も落ちるのが必定であって、久方ぶりに中肉中背に戻ったことを喜んでいる場合ではありません。

「食べねば」と、無理ゲーの食事を思って溜息をつきながら、弱弱しい闘志を燃やしました。

足先の痺れは、常に足先が「正座した時に痺れた」時のように感覚が鈍り、足の裏の違和感は、「熱くてヒリヒリするようなほてり」を感じて足の裏を触ってみても「普通」、「冷たくてヒリヒリするくらい冷え」を感じて足の裏を触ってみても「普通」を繰り返すというのものでした。

特に足先の痺れは、人は歩く時、無意識に足の指の力加減でバランスをとっているため、「歩きにくさ」を感じて不便でした。

このことは、乳腺外科の主治医にも、内科の担当医にも、毎週通い続けている鍼灸の先生にも訴えました。

しかし、ここまで状況が複層的に絡まり合い、悪循環が手を繋ぎアップテンポで「マイムマイム」を踊っている有様では、誰にも、私自身にも、何の影響を受けての症状なのかを断定することは不可能でしたし、したがって「解決、改善策」が見当たらないのも「むべなるかな・・・」でした。(嘆息)

ともあれ、2024年が終わります。

腫瘍マーカーNCC-ST439(基準値4.5未満)は「11月150→12月140」、腫瘍マーカーCA15-3(基準値25.0以下)は、「11月19.3→12月19.4」と、私の体調不良と裏腹に上出来です。

「体調も落ち着いてきたし、お正月が明けたら、今度こそ歯医者に行くぞ」と、心に決めた年の瀬でした。

(おしまい)

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