「抗がん剤:カペシタビン+エンドキサン」運命の腫瘍マーカー数値結果 2月 (nya.3470)
万歳、スィーツの美味しさが復活です!! (2026年2月)
2月は、主治医から受けた「抗がん剤:カペシタビン+エンドキサン」の副作用、「手のひらや足の裏の皮膚が、指紋がなくなるほど薄くなる」「色素沈着するから、日焼けに注意」は、いつ頃から現れるのだろうと思いながら始まりました。
この時点での私の「抗がん剤:カペシタビン+エンドキサン」の感想はというと、【分子標的薬ベージニオ】の水下痢地獄より、【分子標的薬アフィニトール+アロマターゼ阻害薬エキセメスタン】の漂流しかかった大小の体調不良より、よっぽど楽というものでした。(万歳x3)
そしてさらに、この2月の初めには、私を狂喜乱舞させる「嬉しい変化」がありました。
2024年の10月に、【分子標的薬アフィニトール+アロマターゼ阻害薬エキセメスタン】の副作用で味覚障害となって以来1年と5ヵ月、「甘味」以外の味覚障害は徐々に解消され、残るは「甘味のみ」となっていました。
一概に「甘味」といっても、料理で使用する「上白糖」の甘味は、割と早く分かるようになり、料理した際に「味見」する時も、多少の味覚障害を含んで「こんなものかな?」と推測でき、ほんとうに助かっていたのです。
ただし、スィーツの「はんなりした甘味」だけが、どうしても戻らないのです。
これには、泣きました。
ストレスの多い日々、自分へのご褒美にシュークリームを買っても甘くない、また別の日にプリンを買って試してもダメ、1年と5ヵ月の間、くじけることなく間隔をおいて何度もトライしたものの、ことごとく跳ね返されていたのです。(涙)
「もうこれは、一生ものなのかなぁ、私は2度とスィーツを楽しめない体になってしまったのか、、、トホホ」と、楽しく生きる上での些細な喜びを奪われたことは、思いの外私に大きなダメージを与えるものでした。(笑)
そんな2025年の年末、年上の従妹から「とてもとても高級そうなチョコレートの詰め合わせ」が、お年賀として贈られてきました。
小市民の私は考えました「私がこの高級チョコレートを食べても、美味しさを感じる味覚がない、、、んがしかし、これを誰かに譲るのは業腹だ」と。(笑)
それから1か月、私は「とてもとても高級そうなチョコレートの詰め合わせ」の箱を台所の机の上に置いて「眺めて」過ごしたのです。
1ヵ月以上経過した2月某日、小市民の私は考えました「もうこれは、誰かに譲るには時間が経過しすぎている、誰にも譲るあてがないのなら、味覚の分からない私が食べても罰が当たらないのではないか」と。(笑)
そして、チョコレートの一つを口に入れた途端、パンパカパーン♪パパパ♪パンパカカパーン♪
なんと「チョコレートがチョコレートの味がして」美味しいではありませんか!!!!!!!!!
私は、ついに、長い長いトンネル、もう出口はないのではないかと諦めかけていた長い長いトンネルを抜け出していたのです。(万歳x3)
それからは、「糖尿病」という己の病を顧みることなく、次々にいろんなスィーツを食べては「甘味」を確認し、「ちゃんと、自分が想像した通りに美味しい」ことに狂喜乱舞しました。
「糖尿病」という病を軽く見てはいけないことは理解していますが、生きることを楽しむことは、私にとって優先順位1位なのです。
ちなみに私は、特に「チョコレートが好き」なわけではありません。
いろんなショートケーキが並んでいても「チョコレートケーキ」を選ぶことはなく、スーパーでチョコレートを好んで買うこともないのです。
んがしかし、この日から、私は毎日チョコレートを食べまくりました。
なんなんでしょう、コレは、1年5ヵ月の間「スィーツを断念」した数々の怨念が快哉をあげ、「体がチョコレートを欲している」のです。(笑)
ちなみに、この「体がチョコレートを欲している」フィーバーは3ヵ月続き、ある日突然(怨念が解消されたのでしょう)ぱたりと止みました。(笑)
さてさて本題に戻り、「抗がん剤:カペシタビン+エンドキサン」の診察結果をご報告します。
運命の2月19日、この日は、「抗がん剤:カペシタビン+エンドキサン」を始めてから、初めて受け取る「通知表」、腫瘍マーカーの数値を確認する日です。
前回の1月29日の診察の血液検査でオーダーしていたものですが、腫瘍マーカーの検査には1週間程度かかるため、この日に結果を聞くことになります。
結果は、、、腫瘍マーカーNCC-ST439(基準値4.5未満)は、12月310→1月240、腫瘍マーカーCA15-3(基準値25.0以下)は、12月36.5→1月30.8で、、、、私は、もう何度目か分からない「大当たり」を引き当てたのです。
ホッとしました。
「こんなことある?」と思いました。
2014年の3月に、全身多発転移がんで乳がんステージ4とがん告知を受け、今年の3月で12年が経過し、13年目に突入します。
我ながら、運が良すぎませんか?
私が、このように生きることを赦され続けていることを「なぜ」と問うことは不毛だと知ってはいるものの、「なぜ」と思うことを留めることはできません。
常に「なぜ」を抱えながら12年間生きてきましたし、これからもそうすることでしょう。
私にできることは、感謝しながら、笑いながら、生きることを楽しみ、それに徹するのみです。
どのような時でも「根性で笑って」、これを生涯貫こうと、13才の私は決めました。
それは、もうタイトルを忘れてしまった何かの漫画で「どんなくだらないことでも、一生それを貫いたら立派なことになる」というセリフを読んだ時、「コレだ」と思ったのです。
ハードな家庭環境中で思春期を迎えたその頃の私は、死に物狂いで「笑って」いましたし、今の私は、もうそれが、生来の性分であるかのように「笑いながら楽しむ」人間になりました。
そんな思いが、診察室で主治医と談笑しながら、一瞬の間に頭をよぎりました。
「ありがとうございました」と言いながら乳腺外科の診察室を出て、次に、「糖尿病」の診察のために内科に向かいました。
この日の内科の診察は、内心ハラハラドキドキでした。
何しろ私は、「毎日チョコレートを食べ続けている」糖尿病患者なのです。(笑)
しかし、案に反して、内科でも驚天動地の「嬉しい知らせ」が待っていました。
1月8日に内科で診察を受けた時、「あれ、血糖値がすごく下がっています。」と担当医に言われたので、「12月から、それまでの分子標的薬を抗がん剤に切り替えたので、その影響ではないかと思います」という会話をしていました。
そして、運命の2月19日です。
担当医は言いました。
「先月に続いて、血糖値が基準値に収まったままですね。コレステロールの数値も基準値内です。これはもう、もはや糖尿病ではありません。」
・・・・・何ということでしょう、私は「もはや、糖尿病ではない」のです、、、えっっっ?
「ええっと、糖尿病って、なかなか完治しない病気じゃなかったけ?」と、私は内心首を傾げましたが、「もはや、糖尿病ではない」という医師の宣言の前ではそんな疑問も吹き飛びます。
そうして私は、呆然としながら診察室を出て、再び「こんなことある?」と思いました。
糖尿病の診断は、主に「血糖値」と過去1〜2か月の平均的な血糖状態を示す「HbA1c」の2つの指標で行われるのですが、私の場合、血糖値(基準値70-110)12月145→1月84→2月88、HbA1c(基準値4.6-6.2)12月7.0→1月6.0→2月5.5です。
ついでに、タモキシフェンの長期服用の副作用として悪化していたコレステロールも、LDL(悪玉)(基準値140 未満)12月116→2月98、HDL(善玉)(基準値40 以上)12月55→2月43でした。
6年間も、PET/CTのたびに「脂肪肝」の指摘を受け続け、薬を飲んでも高止まりしていた数値が改善していたのですから、まさに驚天動地です。
これはもう、12月に「抗がん剤:カペシタビン+エンドキサン」に切り替えたことによって、これまでの薬とは異なる機序でがん細胞に働きかけているため、これまでの「がん治療」で起こっていた「しわ寄せ」が、一気に解消されたのだと思う他ありません。
大体私は、会社の健康診断で、血液検査も含み常に「オールクリア」の人間だったのです。
がん告知を受けたのが46才で、この時の私は多発骨転移、全身転移の【乳がんステージ4】、遡って40才の頃にはもう「立派ながん患者だった」と思われますが、一度も会社の健康診断で「要注意」も「要検査」も指摘されたことはなく、なんなら「がん告知」直後に受けた健康診断でも「問題なし」だったのです。(笑)
なので、治療による「しわ寄せ」の要因が取り除かれた途端、本来の「正常値」に戻ったのでしょう。
ちょっと「きつねにつままれた」感が拭えませんが、「毎日チョコレートを食べ続けている」糖尿病患者が「もはや、糖尿病ではない」と言われたのですから、これはもう「本物」です。(笑)
という次第で、今年の早春2月は、初詣に引き続いて「安堵」が胸に沁みるものとなりました。
何事の おはしますかは 知らねども かたじけなさに 涙こぼるる (西行)
生きている不思議 死んでいく不思議 花も風も街も みんな同じ 『いつも何度でも』(作詞:覚和歌子、作曲・歌:木村弓)、『千と千尋の神隠し』の主題歌
(おしまい)

10日ほど滞在されたコウノトリ

