またすすき、、、また夕景、、、散歩です(笑) (nya.1153)

 

冬、すすき、夕景

今年ももうすぐ「暮れ」ますね。 (2019年12月27日)

世間では気忙しく慌ただしく、飛ぶように過ぎていく師走ですが、私の場合、自分に「師走、師走、大掃除、大晦日」とプレッシャーをかけても、どこか他所事のように淡々と時が流れて、今日に至ってしまいました。

では、時の流れを「ゆったり」感じているかと問われれば、「え?もう、いよいよ年の瀬?」と愕然しています。(笑)

仕事を続けていた時は、「仕事がなかったら、もっとゆっくりいろんなことを楽しめたのでは?」と憧れていたプータロー生活ですが、、、理想と現実はかくも違うものかと痛感します。

 

冬、すすき、夕景

冬、すすき、夕景

冬、すすき、夕景

そんなこんなで、ぼーっと過ごしている私ですが、スーパーに買い物に出掛けたり、日用品がキレてホームセンターに走ったりと、ごくごく平凡な雑事はあります。

田舎で生活するということは、「最寄りの店」が徒歩圏内にないことが常識です。

「ちょっと買い物」は、最低でも5km、車で片道10分弱、同じ百均でも「ダイソー」と「セリア」を使い分けるセレブな私が、ピンポイントで欲しい物をゲットしようと思ったら、10km、20分程度のドライブが自動的に付与されます。

冬、すすき、夕景

冬、すすき、夕景

冬、すすき、夕景

出不精の私が、田舎の風景写真を毎日供給して枯渇しないのは、一重にこの住環境のお陰です。合掌。

デジカメを忘れずに持って、ある日はスーパーへ行き、ある日はドラッグストアに行き、その度に通る田舎道のルートを少し変化させれば、四季折々の変化をゲットできます。

あの道を通れば川、この道を通れば田んぼ、あそこを通れば花好きの方が育てた畑花壇。

冬、すすき、夕景

冬、すすき、夕景

冬、すすき、夕景

そして、今日のような農道を抜ければすすきの群生ポイントです。

今の田舎は、鮮やかだった山の広葉樹の紅葉が1週間ごとに褪めていき、平野はすっかり刈り取られた田んぼが広がるばかりです。

立ち枯れたすすきも昼間に見るとガサガサゴワゴワなのですが、夕日を浴びると一転、水分の抜けた穂が透明な分、光を多く含むのです。

冬、すすき、夕景

冬、すすき、夕景

冬、すすき、夕景

他の季節だと黄色味を帯びた光線を投げかける夕陽は、冬至の前後1ヵ月だけ、ひと際鮮やかで透明感のあるオレンジ色。

現代では、当たり前のように身の回りに様々な鮮やかな色が溢れていますが、自然を除いて、それらの色が身近になかった時代、自分も含めてあらゆるものが鮮やかなオレンジ色に包まれる数瞬、神々しさを感じずにはいられなかっただろうと思うのです。

日は昇り日は沈み、花が咲いては散って四季は巡り、人は生き、やがて死ぬ。

冬、すすき、夕景

冬、すすき、夕景

冬、すすき、夕景

一年を終えようとするこの時に、オレンジ色の夕陽に包まれて空を見上げると、いろんな理屈をすっ飛ばして「これでいいのだぁ」と思います。

自分という人間が未熟なままであることも、些細なことが許せなくて棘のように心に刺さっていることも、もっと上手くやれたんじゃないかという後悔も、全部ひっくるめて、それが生きるということなのだ、全部ひっくるめて、季節の終わりに、一日の終わりに、オレンジ色の光に包まれることもあるのだ、と思って、肩の力が抜けるのです。

「生きていて何になるのか」と自分を遠くに放り投げたくなるたびに、『 何ももたぬという人でも、天地のめぐみをいただいている』( 小倉 遊亀 )と、自然に諭されます。

私という人間は、いつもいつも、自然にあやされて、励まされて、何度でも歩き始めます。

(おしまい)

 

次は

です。

冬、すすき、夕景

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またすすき、、、また夕景、、、散歩です(笑) (nya.1153)” に対して6件のコメントがあります。

  1. あべかわきなこ より:

    うわっ、すばらしい景色。
    日は昇り日は沈み、また昇る。人は生きやがて死に、しかし命はまた生まれる。ってな景色に見えました。いつもすてきな風景をありがとうございます。

    1. ふるゆら より:

      ありがとうございます、きなこさん。

      何もかもオレンジ色に染める冬の夕陽と、オレンジ色の光を放つすすきの穂、圧倒的な美しさを前にすると、人間不思議と謙虚になりますよね。

      同じ夕景を古今東西いろんな人が、いろんな場所で見て、それぞれが抱えるそれぞれ異なった葛藤が、この一瞬、無になる感覚を共有できるような、、、。

      「自分って小っちゃいな」と「自分だけじゃないんだ」が心を去来します。

      平成から令和の時代になり、令和元年がもうすぐ終わり、令和2年になる、変わるものと変わらないもの、年の瀬はふとそんなことを考える時ですね。

      いよいよ明日は大晦日、きなこさんも良い年をお迎えください。

      2020年もよろしくお願いいたします。合掌。

  2. ゆうこ より:

    辺り一面オレンジ色の夕陽の中で揺れる白い穂のお写真を
    見ているとドレの挿絵を思い出しました
    ダンテの神曲の挿絵画家 ギュスターヴ・ドレの
    おびただしい数の光り輝く天使達が輪になって
    舞っている絵です
    ダンテは地獄 煉獄を経て最後 ベアトリーチェによって
    天国の至高天(エンピレオ)に辿り着き 見神の域に
    達するのですが ふるゆらさんのお撮りになったすすきの
    写真を見ているとその情景を彷彿とさせます
    ドレが挿絵を描いたのはダンテが神曲を発表してから約
    500年後です
    このぴったりの挿絵が著者と画家が生きている時代を
    大きく隔てて創作されたことは非常に不思議に感じます。
    と同時にいつの世も人間は天に向かって階段を上り続けて
    いく存在であり創造主への憧憬と到達を願ってやまない
    ものなのでしょうね
    500年後の2520年、すすきはまだ存在しているので
    しょうか?
    どっちにしても2520年の人もこのすすきの写真を見て
    美しいと感嘆することでしょう
    そして未熟であることも心に刺さった棘も後悔の気持ちも
    500年前の人達も同じだったんだな、そして
    自然から癒しや励ましを受けるのも私達と同じなんだなと
    思うことでしょうね
    時を超えて会うことのない人達の心にも届くなんて
    素敵だと思いませんか?

    1. ふるゆら より:

      ゆうこさんが仰る通り、人の心に絶えず揺らめく喜怒哀楽はある意味「普遍」です。

      自分の心を持て余して視野が狭まり、はち切れそうな願いを抱えて祈る時、自然や神仏の前で手を合わせ、、、、「私だけじゃなく、いったい、これまで幾千幾万の人が同じことを祈ったことだろう」と思い、ふと肩の力が抜けるのです。

      美しいものに出会った時、人の心が謙虚になるのは、たぶん、そのためだと思います。

  3. sizu より:

    ふるゆら様

    おおーーー‼
    又、又、いいのが撮れましたねぇーーーーー!
    燃える様なススキにススキの下に沈む夕日!
    夕陽はポストに行く時、あら綺麗!と眺めてほんの7・8分の差で帰りに眺めても
    もう違いますからね、一瞬の出会いです。
    ススキ、葉を落とした木などは、特に夕陽に合うと思います。
    冬至の後から急に夕方冷えてきましたね
    年末年始風邪に気を付けて、よいお年をお迎えください。

    1. ふるゆら より:

      はい、ありがとうございます。

      sizuさんも、お忙しい年の瀬かと思いますが、お体を大切に楽しい年越しをお過ごしください。

      自然も人も一期一会です。

      「今」を丁寧に楽しみましょう♪

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